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正しく生きてきた"つもり"の人々が、足を引っ張り合う社会になっている

投稿日:2020年4月8日 更新日:

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「あなたは正しく生きていると思いますか?」

そう問われた場合、きっと「はい」と答える人の方が多いだろうと思います。

人並みの生活を送るために国民の義務を果たし、権利を全うし、どんな形であれ懸命に生きている。その自分の生き方自体を、自分から「正しくない」と切り捨てる人の方が珍しいでしょう。

そういった正しい生き方をする人達が寄り集まり、この社会は動かされています。それぞれが少しずつ世界に貢献している。その実感が持てるからこそ、日々を頑張ることができるのです。

しかし、現代日本ではこの「正しい」という概念を強く持ちすぎる人達によって、小さな間違いすら許容されない、問題の多い世の中になりつつあります。

時にそれは「行きすぎた正義」と揶揄されるようにもなり、捉えようによって"悪事"に括られるような事例も増えました。

一体どうしてこのようなことになってしまったのか。それを考えて行こうと思います。

"普通"に生きてきた人の受難

現代日本は"普通"に生きることは幸せではない。

まずこの悲しい事実を押さえることから始めたいと思います。

今の日本は様々な要因によって、中年以下の世代に非常に厳しい社会構造になっています。働けども働けども楽にならず、給料も上がらず貯蓄もない。精神面でも個々人がそれぞれの問題を抱えていることが多いでしょう。

普通に学校に通い、普通に社会人になり、普通に勤めて変わらない毎日を過ごす。子供の頃から「そうあるべき」と言われた"普通"を寄せ集めた結果が、ただただ生き辛い人生を作り上げてしまう。それに気付いた時にはどうしようもない状況に追い込まれていた。そう感じている人も多いはずです。

しっかりと学歴を得て就職活動に臨んだ人には相応のキャリアが与えられることが多いものの、それが必ずしも精神的な満足度に直結するわけではありません。またそういった努力を"そこそこで"終えた人には、"普通"に生きている限り大逆転のチャンスはほぼありません。

何となく生きてはいて、それなりに楽しいことはあるけれど、何故か満たされない感覚がある。でもそれ以上はどうしようもないし未来に希望もない。

だから今を受け入れて一生懸命に生きている。そんな人達が社会の歯車を担っているのが現状です。

誰もが「誇れる自分」を求めている

多くの現代人が満たされていない理由、それは地位や名誉・富といった社会的なステータスとなるものを何も持っていないことに起因します。

そこそこのスキルとそこそこの人生を歩むことはできても、明確に他人に誇れるものを何か持っているわけではない。そして今後もそれが手に入る見込みがない。その状況の中でポジティブに生きるのは極めて困難です。

だから現代人は何か1つでも、何でも良いから社会的に価値の高い、誇れるものを求めています。人よりも優れている自分であろうともがき、それを探し出そうと苦悩します。

そういう自分でありたいと思うこともまた"普通"であり、そのために自己と語らうのもまた"普通"です。

しかしその"普通"こそが、「行きすぎた正義」が暴走する世の中を作り上げていると言えるのです。

「正しく生きてきたこと」だけが武器

 

社会的に誇れるものを持っておらず、他人に自慢できるものが見つからない。そんな「間違ってはいないが、突出していない人生」を送ってきた人達には、武器となるスキルが存在しないことが多くあります。

それでも何かを捻り出さなければならない。この殺伐とした現代で自分の居場所を作るために、何かがあることにしなければ自分を守れない。

そんな人達が辿り着く唯一の武器。
それが「正しく生きてきたこと」なのです。

自分は"普通"を得るために正しく歩んできた。だから今こうして正しい社会の一員でいられるし、特に困ることもなく生活できている。誰かに迷惑もかけず、自分(と身内)の力だけでしっかりと生きている。

それが自慢であり、社会に誇るべき自分の長所。そう考える人が世の中にはたくさんいます。

そしてそういう人達の一部は、自身の強みを証明するために正しくない人を見つけて叩くことに快感を覚えるようになります。満たされない心の隙間を、自分が正しいと証明することで埋めようとするわけです。

悪事をはたらいた者、倫理的なタブーを犯した者など、とにかく自分が攻撃できる相手を見つけて袋叩きにする。それが最も確実に「自分達が社会的に優れている」と発信できる手段であるからです。

その結果、一部で「行きすぎた正義」を振りかざす者が世の中に溢れ返るようになり、今では一大勢力となっていると言えるでしょう。

"普通"ではない人達への羨望と嫉妬

では何故「正しいこと」が武器になる世の中になったのでしょうか?

それは今の世の中で成功者と言える人達の一定数が"普通ではない生き方"をしているからです。

当然、"普通"に生きることを選ばなかった人の多くは、その"普通"すら掴めない酷い人生を送っていることも少なくありません。そのような人達は単純に世間から「馬鹿だ」「常識がない」などと罵られ、社会の底辺として扱われることになります。

一方で"普通"ではない人の中から、リスクを乗り越えた先で成功を掴み取れる者が現れ、強大な社会的ステータスを得るに至ります。それは努力と行動力、才能を持って活動したからこそ獲得できた、彼ら独自の武器です。

にも関わらず成功の先で彼らは世間の注目の的となり、妬み嫉みの対象として攻撃されます。"普通"に生きることが幸せではない世の中だからこそ、そうではない生き方をする人達の幸せはより憎たらしいものとして扱われるのです。

具体的に言えば芸能人や敏腕経営者、政治家、人によってはスポーツ選手など。彼らは多くの人達から人間性の落ち度を貶められ、揚げ足を取られ、"普通"な人達の「正しく生きてきた」という承認欲求を満たす道具にされています。

現代では個人がネットを介して集まりやすくなったこともあり、"普通"を共有できる人達は大衆認識を持って群れを成します。この数の暴力により小さな悪事や一時の過ちでさえ、鬼の首を取ったように攻められる構造が出来上がりました。

しかし最も恐ろしいのは、こうした立場を利用した一方的な攻撃ではありません。これほど独り善がりな方法でも、「まだマシ」と言えてしまうほどの問題が眠っています。

それは"普通"の人同士が繰り広げる価値観の違いによるいざこざです。

多くの"普通"同士が傷付け合う世の中

そもそも、多くの人は何を持って自分を"普通"と決定付けるのでしょう?何を持って「正しく生きてきた」と断定できるのでしょう?

当たり前ですが、人の考え方・価値観は生きてきた環境によって異なり、接してきた人によって違えています。全く同じ感覚で生きている人は、1人としてこの世に存在しないはずです。

そしてその全ての人が「自分は正しく生きてきた"普通"の人間である」と思い込んでいます。

よく過ちを犯した人に対して「根は悪い奴じゃない」というフォローが入ることがありますが、"根"という概念は酷く曖昧なものです。誰しも良いところと悪いところがあり、その要素を「良い」と感じるか「悪い」と感じるかも人によって異なります。

近しい考えを持つ人間の中にいれば、誰しもが「善人」です。ですがその外に出れば一転して「悪人」ということもあり得ます。誰もにとっての「"普通"で正しい」人は世の中に1人として存在し得ません。

だからこそ人はコミュニティを作り、徒党を組むことで多数派になろうとします。自分と同じ考えの人がこんなにも沢山いる、そういった数の力によって自分の正しさが"普通"で確固たるものであると認識できるよう行動します。

ところがSNS文化の発展により、自分と近しい考え方を持つコミュニティに簡単に属せるようになりました。日本全国で500人しか持っていない考えでも、極論ネットで500人全員と繋がっていれば"普通"に見えます。実際は1億分の500人しか持ち得ない考えであってもです。

そうやって実数の分からない「"普通"と思い込んでいるコミュニティ」が、それぞれの"普通"だけを武器に火花を散らす。

各々が「"普通"に考えれば…」という価値観で他人とやり取りを行い、近しい価値観を持つ人達と"普通"のコミュニティを結成する。そして自分と違える"普通"をバッシングしては、承認欲求を満たして行く。

"正しいつもり"の人達が、互いに傷付け合うことで溜飲を下げ合う。皆が「今の社会はクソ」だと思っているにも関わらず、決して手を取り合うことはない。

そんな不毛な内紛によって、皆で社会の肯定を諦めているのが今の日本なのです。

"普通"が報われない社会の弊害

2020年現在、世界中が新型コロナウィルスに関わる大きな動乱の最中にあり、日本もまたその煽りを受けています。未曽有の経済危機が訪れており、今後どうなっていくか分からない状況です。

こういった有事が訪れたことで日本を取り巻いていたこの"普通"は、より悪い問題となって国民全体の首を絞めてしまっていると思います。

今の日本は、どこを見ても誰かが誰かを叩いています。

自分が持っている情報や価値を"正しいもの"だと信じ、それが通じない相手をバッシングすることで自分の立ち位置を確定しています。

批判や否定そのものが悪いわけではありません。建設的な意見交換は今後のためにも必要不可欠です。ですが、今の日本は他人を下げ、自分を上げるために発信している人が多すぎる気がしてならないのです。

これはテレビなどのメディア、政治家に対するものだけに留まりません。価値観の違いや立場の違いで、自分と境遇を同じくしない者を「どうしてそんなことも分からなかったのか」といった論調で否定する人を目にする機会があまりにも多いです。

切迫した状況の中で、他人を慮っている余裕がない人ばかりなのは当然です。そうであっても、わざわざ他人の悪いところを探して叩きに行く必要はないはずです。

これは常日頃からそういったやり取りを盛んに行いすぎてきた、我々に課せられた呪縛のようなものなのでしょう。

こうした行いの1つ1つが積み重なることで、緊急事態でも一致団結することができない今の日本人の体質が出来上がっているとさえ思います。

そしてそれは、今の"普通"の人が報われない社会を突き進みすぎてしまった国のもたらした災禍でもあります。これは間違っても現政権批判ではありません。公共的に考えた事実としてそう認識しています。

この一件が幕を閉じた暁には、有事くらいは他人を貶めることなく、1つでも多くの意見を幅広く精査できる日本になってほしい。

そのための「善き世の中作り」が改めて見直されることを切に願っています。

おわりに

長々と書いてきましたが、この記事について「お前も自分が正しいと発信したいだけだろ」と感じる人もいらっしゃるかもしれません。

それについて100%反論することはできません。僕自身もそういった負の感情、マウンティング意識に飲まれることはあり、無自覚のうちにそのような意図を含めて発信してしまうこともあるからです。

何より自分自身が今よりも若い頃、この記事で書き連ねてきた"正しいつもり"に支配されて生きてきた人間に他ならず、ネット上で他人を叩きのめして快感を得ていた時期もありました。

それを少しずつ意義のある発信方法に変えて行く努力をしている最中であり、この記事は自戒の意味を込めて1つの意見として捉えて頂けるように執筆しました。

普段から何となく感じていた負の一面が、何よりも色濃く見えてきてしまう。我々は今そんな緊急事態の最中にいます。

だからこそ1つ1つを見逃さず、この機会により良い方向へと社会を変えて行く。事態が収束した後には、そんな努力もきっと必要です。

そのための意思表示の1つとして、この記事を残しておくことにしました。

皆様にとって、この記事が何かを考えるキッカケになりましたら幸いです。それでは。

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