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全く価値観が合わないオタクとの向き合い方 "我慢しすぎない"心得【相談回答】

投稿日:2020年8月3日 更新日:

今回の相談は「自分と全く違う価値観で作品を楽しんでいるファンとどう向き合うべきか」です。

今回のメッセージは、作品名を明らかにした具体的な愚痴として届きました。しかしその全文をこのブログで公開することは諍いの火種になりかねないため、要点をまとめたメッセージを改めてこちらで作成しています。ご了承ください。

ネットで色々な感想が閲覧できるようになった現代では、同じ作品を楽しんでいても全く共感できない反応に出会うことも少なくありません。「○○が好きな人に悪い人はいない」という古き良き言い回しもありますが、実際はそうは行かないものですよね。

何かを楽しむ・応援することは等しく万人に与えられた享楽です。同じ作品を楽しんでいる以上、ある程度近しい感性の人が集まっているとは言え、その人間性や教養、求めているものは大きく異なります。

同じフィールドでどうしても相容れない存在と出会ってしまった時、どのように自分のイライラやモヤモヤを解消するのか。今回の記事では、その心構えを書いて行こうと思います。

イライラする原因を確かめる

自分に合わない感想を見つけてイライラするくらいなら見なければ良い。作品をどのように楽しんでどんな感想を抱くかは人それぞれである。

そんな極論が聞こえてきそうですが、それで済ませるのでは回答する意味がないですね。作品を楽しんでいれば、他人の感想も見てより深めたくなるのは当たり前のことですから。1つの感情のために、その楽しみを失ってしまうのは良いこととは思えません。

目に入らないように片っ端からブロックして行くなどで自衛もできますが、それでも一度見たものをなかったことにはできません。自分に合わない価値観が、自分の好きな作品ファンの中に存在する。それを想像した時に、何となく嫌な気持ちになるのも理解できます。

ですのでその感情の性質について、もう少し分解して考えてみたいと思います。

負の感情を発散すること

そもそも何故そのような相手を見つけると自分がイライラするのでしょうか。

それは恐らく、投稿者さんがその相手の感想を否定してはいけないと思っているからだと思います。

例えば自分に合わない感想を見つけた時に、それを絶対に認めようとせずに怒りをぶつけてしまう、ちょっと困った人たちもいます。その手の人たちは負の感情を露わにすることで自衛し、自身の感情を整えようとしているのだと思っています。

彼らはその場その場で迷惑行為に及びはしますが、その行動の成果として自身の精神の安寧を得ている側面もあります。自身の中に負の感情を溜め込まないようにするという1点のみを見れば、その行動には一定の理があると言えるのです。

一方、投稿者さんのように「合わないなと思っているが、強く否定することも良いと思わない」という良識がある方は、負の感情を発散することができません。それを溜めに溜め続けた結果、何となくそのことについていつもモヤモヤを抱えている。といった状態に陥ってしまいます。

要するに我慢してしまっているのです。これは別に作品を応援することに限った話ではなく、日々の生活とか仕事とかあらゆる場所に置き換えて考えることもできます。迷惑な人ほど好き勝手に振る舞えていて、それをおかしいと思っている周りの常識人が揃って損をする場面に出くわすことは多いでしょう。

今回は厳密には状況は違うとは言え、抱えている感情のベクトルにさしたる差はないものと考えています。

そこで僕がこれらの感情に苛まれ過ぎないように、普段から努めて行っているのが「嫌いと感じている自分を否定しないこと」です。

「嫌いだ」と思うことは自然

今のネットでは非常に多様性を重視する傾向があり、「あらゆる文化にどのような感想を抱くことも個人の自由である」とすることが多いです。

そこから発展して「他人の感想を否定してはいけない」と考える人が多くなっています。これは大変に素晴らしいことですが、その裏で個人を縛り付ける呪縛ともなり得る意見です。

ネットに書き込まれた発言などは、発信した時点で世間に向けてアウトプットされた表現でもあります。つまり、感想に対して感想を抱くことにも当然ながら正当性があります。

ですから、他人の抱いた感想の内容をどう思うかも個人の自由であり、それを「嫌いだ」「合わない」と感じる人がいることもまた自然だと言えるでしょう。

ただそれを外に向けて発信する(相手に直接言う)ことは、あまり良い行いだと思われないことの方が多いです(※ここに送ってもらったことはその限りではありません)それでも「思うまでは許される」ものだと思います。

そこで「まぁこんなこと言うべきじゃないんだろうな」「自分が良くないんだろうな。相手も楽しんでるんだし」と、自分で自分を否定してしまうとイライラしてしまいます。せめて自分の中では、その気持ちを100%正しいものだと解釈してあげたいものです。

心の中でだけは自分を全肯定

よって僕は、そういう感情を抱いた時「言ってやることも別にできるが、言わないでおいてやっている」と思うことで自分を落ち着けています。

自分の感情を否定せず「自分が良識を持って譲歩している」とかなり上から解釈して、自分を落ち着かせるのです。何に対してもこうでは困りますが、嫌いな相手(考え方)を否定する時くらいは強気な方が良いはずです。

一見するとかなり暴力的な思考なのですが、自分の中でだけ自分を暴力的に演出することは、アウトプットする感情をコントロールするのに役立つと思っています。結果としてそれが外に出なければ良いのです。

どんなに我慢したところで、思ってしまっていることは変えられません。

その時点で何かを溜め込むのは確定しています。だから外に出す前に、自分の中で"肯定して"遊ばせましょう。

考えれば考えるほどイライラすると思いますが、時が経つにつれてそれもどうでも良くなって来ます。そこまで行くと、その一連の感情の動きを後で自分で冷静に分析できますし、それが新たな知見として自分の心の安寧を呼び寄せてくれることもあります。ずっとモヤモヤしてるよりはマシではないでしょうか。

僕は過去に人の負の感情に触れることが多い職種で働いていた時に「相手のことを考えすぎたり自分を責めすぎるとガチで病む」と気付いたので、あまり我慢しないようになりました。

個人としては、過剰に責めてくる人には言い返すことも多いですね。しかし自分から誰かを責める側にはなるべく回らないよう、ムカつくことがあったらこのようにして感情をコントロールしています。

おわりに

何かに否定的な感情を持つことは間違いではありません。

あくまで人を攻撃するのが悪意的なのであり、その感情そのものに善悪は存在しないのです。

この意識を持つだけでも心の負担はグッと軽くなります。

投稿者さんは僕のブログにメッセージを送ってくれたわけですから、あまりそういった感情を外に出さないように心掛けている方だと解釈しています。

完全な愚痴に対する回答なのでアプローチに悩みましたが、一筆このような内容にしてみました。的外れだったら申し訳ないですが、少しでもストレスの解消になれば良いなと思います。

募集していた場所に匿名の愚痴として投稿というアウトプットを選ぶ。その良識があれば大いに問題ないはずです。心の中でだけは、今後とも気に入らない相手をガンガン罵倒して行きましょう(言い方)

ちなみに僕は感情の発散技術として、特定の感情を公共的な内容に落とし込めるまで考え倒して「世間への1意見として記事やツイートにしたためる」ということも割とやっていました(このブログにはあまりありませんが)

自分の感情を噛み砕いて人の役に立つ(かもしれない)情報に変えることは、自分の心の整理術としても便利です。文章を書く能力や物事を細かく分析する能力も同時に身に付きますし、僕の文章力の基盤を作った行動の1つだと思っています。よろしければチャレンジしてみてください。

それでは今回はこの辺りで。また次回お会い致しましょう。

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