ニュース考察

池袋暴走事故の容疑者を即逮捕しなければならなかった本当の理由

投稿日:

2019年11月12日。
いよいよ池袋暴走事故を起こした飯塚幸三容疑者の書類送検が決まった。

ようやく"上級国民"から容疑者へ。
不慮の事態とは言え、殺人を犯して逮捕されない状態が続いたことで多くの人が権力に対して疑心暗鬼になり、容疑者を責め、惨状を憂いた。

結果として、最早ネット上にはこのニュースを知らぬ人はいないのではないかというほどに、大きな注目を集める一件となった。

事態が動き出したこのタイミングで、1人の書き手としてこの事件を一度振り返っておきたい。

まず僕は「飯塚幸三は即逮捕されなければならなかった」と思っている。

何を当たり前のことを…と思われるかもしれないが、これは決して「人を殺したのだから捕まって当然」という単一的な理由によるものではない。

この一件を機に我々は、本当の意味で「不慮の事故で犯罪者となった人の"名誉を守る"とはどういうことなのか」を考えて行かなければならないと考えたのだ。

そういった事情を鑑みた上での"逮捕の必要性"を、この記事で論じて行こうと思う。

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起こしたのはあくまで交通事故

今日に至るまでの飯塚容疑者へのバッシングは凄まじい。

殺人を犯して逮捕すらされずに、のうのうと一般人として生活することを許された。報道では容疑者扱いもされず、メディアによっては実名を伏せている媒体もある。極め付けは、自身の非を認めずに他人と物のせいにして責任逃れをしているとも取れる発言を繰り返す。

これを一般常識に当てはめて考えれば、強烈な批判に晒されるのは当然と言えるし、これが許される理由を誰もが想像するだろう。その結果生み出されてしまったのが"上級国民"というレッテル貼りだ。残念なことに2019年の流行語大賞にもノミネートされている(正直今の状況でその扱いはどうかと思うが)

だが1つ考えみてほしい。
交通事故で死亡する人は、年間4,000人程度存在している。総計を日割りしても毎日1人以上はいる計算だ。そして強力な悪質性や問題性がない限り、そのほとんどが大きく報道されないままに終わる。報道されても実名が公表されないパターンもある。

交通事故はあくまで事故であって事件ではない。飯塚容疑者の場合「車が故障した」ことを要因に挙げているので、故意性があるとは断定できなかった。これは被害者感情と状況を総合して考えればありえない言い訳だが、本当に100%ありえないわけではない。

その状態で交通事故に大きな事件性を付与するのは難しく、報道はあくまでも通常の交通事故と同様に処理されると考えられる。

僕は専門家ではないし交通事故を犯したこともないので詳しい流れは分からない。だが実際の交通事故の処理には、何か窺い知れない事情が存在していることは頭の片隅に置いておくべきだと思う。

実際、刑事訴訟規則143条の3では「逮捕状の請求を受けた裁判官は、逮捕の理由があると認める場合においても、被疑者の年齢及び境遇並びに犯罪の軽重及び態様その他諸般の事情に照らし、被疑者が逃亡する虞がなく、かつ、罪証を隠滅する虞がない等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状の請求を却下しなければならない」と定義されている。

逮捕されなかった法的な理由も、一般人が分かる範囲で存在するのだ。

ただ、この規則143条の3には明確な基準があるわけではなく、決定する側の感情や政治的事情に左右される可能性はゼロではないと考えられる。

実際にあるとは言い切れないが、あると思ってしまう人が世の中には沢山いるだろうということが問題だ。その問題がある以上、この知識は上級国民というレッテルを払拭するほどの力を持たない。

これらを踏まえた上で、改めて僕は「飯塚幸三は即逮捕されなければならなかった」と考える。

それは彼の過去の名誉に関わることだからだ。

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世間がバッシングする理由

事故を起こすまでの88年間、飯塚幸三という人間は成功者として真面目に生きてきたはずだ。輝かしい実績の数々を鑑みれば、そうに違いないと言い切っても問題ないとさえ思う。

彼は決して極悪人というわけではない。
1つの大きなミスによって多くの人を傷付け、殺めてしまった不幸な人間なのだ。

もちろん高齢者運転事故が問題視される時流があったにも関わらず、あの年齢で車を運転し、自分を過信し、大きな過ちを犯したことは彼の責任だ。それを擁護するつもりはない。

しかし、そうであっても交通事故は誰もに降りかかる危険性があるものだ。年齢性別問わず、自分が明日にでも犯罪者になっておかしくないリスクが運転にはある。それを無視して彼を責め上げる世論にも正直疑問が残る。

発言についても、あの年齢で取り返しのつかない事故を起こしてしまった際に平静を保てるとは思えないし、言い訳の1つもしたくなるだろう。報道陣に囲まれて"犯罪者として"インタビューを受ければ、もう何が何だか分からなくなるはずだ。

だからその発言を持ってして「飯塚はとんでもない考えをした極悪人だ」としてしまうのも早計だと思うところがある。

それら全ての扱いを自業自得と言い切ることもできる。だが、そもそも逮捕されなかったこの数ヶ月は、彼の意思によって齎されたものだろうか。僕はそうは思えない。

幾ら"上級国民"と揶揄されても、彼は貢献度の高い一般人でしかなく権力者ではない。何かしらの事情があって逮捕されていないとしたら、それは外部の忖度である可能性の方が高いだろう。

そして飯塚容疑者が世間からのバッシングに遭い続けていた大きな理由は「殺人を犯したのに逮捕されていないこと」だと思われる。つまり正当に逮捕されて早い段階で容疑者になってさえいれば、彼個人への糾弾はとっくの昔に収束していたと考えられる。

この一件が大事にならなければ良かったとは思っていない。高齢者が起こした最も凄惨な運転事故の1つとして、後世に語り継いで行くべき内容だと思う。

だが、飯塚幸三という人間に対する世間のバッシングは、最早過剰になりすぎたと僕は感じている。それは未然に食い止めることができたはずだ。

犯罪者として裁かれることの重要性

上記した通り、僕は大事故を起こしたからと言って、その人間を極悪人とすることを正義だとは思わない。その事故が大罪であることと、事故を起こした人間の悪性は必ずしもイコールではないと思うからだ。

飯塚容疑者は少なくとも88年間真面目に生きて、数多の社会貢献を果たしてきた功労者だ。その善性は事故と関係なく評価されるべきだし、切り離して考えられなければならない。

そのためには、犯罪者として裁かれることが必要不可欠なのだ。

起こしてしまった大罪によって逮捕され、正当に裁かれ、法の下に清算行動を行う。その単一の悪性を処罰されることが社会人としての正当性を担保する。

その奉仕により、ようやく「彼は大きな過ちを犯してしまったけれど、誠心誠意償った上で社会貢献を果たした」という社会評価を得られる基盤が整うと言える。

多くの人はそう思えないかもしれないが、定められた手順を踏んで解決すれば、彼の善行を評価してくれる人も必ずいる。僕自身も88年間の功労の全てを、晩年の過ち1つでなかったことにしてほしいとは思わない。

だが、この考えすら最早正しいとは言い切れないような空気が、この一件を包んでしまっている。

飯塚幸三は過去の功労を利用することで特別扱いを受け、ギリギリまで逮捕を免れ(自分の実績に瑕を付けないまま)逃げ延びようとしたという世論が、世間に根付いてしまったからだ。

僕のこの意見を読んで「何を言っているんだこいつは」と思う人もいるはずだ。それを僕も間違っていると否定できない。裏事情がどうであったかより、"そう見えている"ことの方が現代社会においては重要だからだ。

飯塚幸三が社会貢献に尽力してきたのなら、その功績は社会に認められることで初めて意味を成す。その社会を構成する一般人を敵に回してしまったことで、彼は功績の全てが全否定される状況に陥ってしまったと言えるだろう。

早い段階で逮捕されていれば、幾何か守られたはずの彼の過去の尊厳と名誉は、最早誰にも認められることはない。大罪人としてだけが大きく記録され、人々の記憶に残る。

飯塚容疑者はあるかも分からない特権階級の庇護下にいたことで、結果的に最悪の生き方を強いられることになってしまったのだ。

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おわりに

以上が僕が「飯塚幸三は即逮捕されなければならなかった」と考える理由だ。

逮捕されないと言っても、一般大衆の私刑感情によってバッシングされ続け、あられもない言葉を浴びせられ続ける。連日メディアは自分のことを極悪人として取り上げ特集し、心ない取材も後を絶たない環境で生活しなければならない。

年老いて身体も不自由になり、頭も回らず、犯してしまった罪の意識に苛まれながら、逃げることも対抗することもできず、サンドバッグにされたまま"一般人"として振る舞うことを要求される。

これが彼が"上級国民"になることで得られた特権なのだとしたら、本当に皮肉なものだと思わざるを得ない。

即逮捕されて容疑者になっていた方がよっぽどまともな生活を送ることができただろう。飯塚幸三という名前も、今ほど世間に認知されていなかったはずで、功績の一部は何かしらの形で残すことができたかもしれない。

もし飯塚容疑者が今日まで誰かの意志で「逮捕の必要がない」と判断されて野放しにされていたのだとしたら、彼はむしろ権力の保身に利用されて、見放された側の人間だと僕は考えている。

それによって必要のない憎悪が世間に生まれ、被害者遺族の怒りと悲しみは増幅され、数々の悲劇と不幸を積み重ね続けている(※今回の記事では大きく扱ってはいないが、当然最も優先されるべきなのはこちらの事情である)

彼が即逮捕されなかったことで、失われたものがあまりにも沢山ある。むろん彼自身もそれを良しとしているかもしれないし、現在に至るまで遺族に謝罪すらしていないという報道もある。

よってこの事故について彼を擁護する意図は、僕自身にもこの記事にもない。それとは別に、考えて行くべきことがあると思って執筆している。

法規的な問題や止むに止まれぬ事情が存在するのかもしれない。でも、ネットが発達した今の世の中で「殺人を長期間看過し続ける」ことが、凄まじい問題を引き起こすのかは今回の件から学習して改善して行くべきだと思う。

飯塚容疑者を守るために動いたことが、結果として本人を含む全ての人をより深い不幸に貶めている。結局逮捕されて経歴に瑕が付くなら"上級国民"であったメリットは1つもない。

不慮の事故で大罪を犯した人間に特権が与えられるのだとしたら、僕は有無を言わさずに逮捕される方に振ることを提言したい。それが結果として、全ての人の名誉と尊厳を守ることに繋がるからだ。

起きてしまった不幸は無くすことはできない。だったらせめて、最も不幸の少なくなる選択が為される世の中であってほしいと思うばかりだ。

 

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