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【追悼】2000年代アニメ文化の歴史を築いた京アニ オンタイム世代がその体験を語る

投稿日:2019年8月1日 更新日:

2019年7月。
未曽有の被害を出し、平成史以降最悪の放火事件となってしまった京都アニメーション放火事件。事件の詳細は今更ここで語る必要はないだろう。

僕を始めとするアラサー世代で、若い頃からアニメに触れてきた人間であれば、京アニについて思うところがない者はいないと言って過言ではないはずだ。それほどに、彼らはとてもとても大きな存在だった。

故に、事件の被害状況を含む全容が明らかになってきたこのタイミングで、2000年代を学生として過ごした我々にとって、京アニがどのような存在だったのかをしたためておきたいと思い筆を執った。

一介のブロガーがこんな事件の記事を書くべきではないのかもしれない。でも、少しでも彼らのことを伝えられるのなら、1人の書き手としてやはり書くべきだと思った。

京アニと共に10代後半~20代前半を過ごしたオンタイム世代は当時の振り返りとして、「京アニって10年前は凄かったらしいね」と言うような認識の新しい世代にとっては1つの歴史として、この記事を読んでもらえれば光栄に思う。

様々なアニメの地位を確立した企業

僕がいわゆるオタクとして多くのアニメに触れるようになったのは12,13年前のことだ。既に京アニは「業界に京アニあり」と言っていいほどのネームバリューで、その時代を牽引する存在だった。

まだ深夜アニメ初心者だった僕からしても、京アニが生み出す作品のクオリティが頭一つ以上抜けていることは当然のように分かった。

現代ではアニメ市場も多様化し、ハイクオリティのTVアニメを打ち出せる企業も多くなった。件の京アニも多くの優秀な制作会社の1つという枠組みに収まることになっている。

しかし当時の京アニは、ネットの評判だけ見れば"一強"と言っても差し支えない勢いを持っていたのだ。他の制作会社の名前は知らなくとも、京アニだけは知っているという人も多かったのではないだろうか。

それほどまでに京アニの創るアニメの質感は他と異なっていた。

圧倒的な色彩感覚によって鮮やかに表現された映像、感情の機微が伝わってくるキャラクターの細かい所作や表情。迫力のある映像ではなく、美しい映像としてTVアニメを打ち出す京アニ作品は、当時別格の存在感を醸し出していた。

そして京アニがネット上で大きな支持を集めることになったのは、そのクオリティを持って美少女作品の映像化に挑戦したからだろう。

当時は深夜アニメの数もさほど多くなく、アニメのジャンルも限られていた時代。アニメと言えばデフォルメされたキャラがコミカルに動くか、硬派で派手なアクションをするものという、夕方アニメの延長のような空気感がまだまだ主流であったと思う。

美麗な作品は一部の劇場作品など、硬派な作品にのみで見られるものであり、オタク向け深夜アニメでそれを見せてくれる力と意志を持った企業はまだほとんどいなかった。

そんな中で京アニは凄まじい技術力・表現力を有しながら、日常風景や会話を中心としたゲームやラノベの名作などを主にTVアニメ化する方向に舵を切った、稀有な制作会社だった。

そんなことが完璧にできるのもやろうとしたのも本当に京アニしかおらず、彼らは「そういった作品でも熱心に仕上げれば、一定のファンから絶大な評価を受けられる」という、新しい可能性を業界に提示することになった。

今で言う「日常系アニメ」が一大ジャンルとなった背景にも、確実に京アニ作品のヒットが下地に存在しているし「作画など総合的なクオリティを高めれば、どんな作品でも正当に評価される」という価値基準を明確にするのにも一役買っただろう。

彼らの成功がなければ、今のアニメ業界は全く違ったものだったかもしれない。今ではそう思えてしまうほど、2000年代における京アニの存在感は本当に凄かった。

自分達の望んだものを最高のクオリティで打ち出してくれる京アニという存在への、当時のオタクの期待感情は半端なものではなかったと思う。

新作が発表されれば必ずネット中が大騒ぎした。オススメのアニメを聞かれたら、まず京アニ作品を挙げる人で溢れていた。

『涼宮ハルヒの憂鬱』が界隈を代表する名作になったのも、『けいおん!』が音楽界隈を巻き込んで一大ムーブメントを生んだのも、全て「京アニが制作したから」というファンの圧倒的信頼と、間違いないクオリティによるところが大きかった。

10~15年前のアニメ業界において、京アニは誇張抜きで唯一無二の存在だったのだ。

受け手と創り手の関係性を変えた企業

京アニが生み出した功績はアニメの域に留まらない。

僕が思う、当時の京アニ最大の功績は「視聴者と創り手の距離を縮めたこと」だったように思う。

京アニが最もネームバリューを持っていた時代、ネット上では1つの文化が誕生しにわかにブームとなっていた。

ニコニコ動画だ。
今でこそ遅れを取った存在となってしまったものの、当時のニコ動とアニメカルチャーは決して切り離すことができないものだった。コメント機能でアニメの内容を共有し、皆で盛り上がるという画期的な仕組みは、数多の人々をオタクの道へと引きずり込んだことだろう。

当時のネットは今のようにオンデマンドでアニメをネットで見るなんて文化は当然整っておらず、深夜アニメなどは動画配信サイトに上げられた違法アップロード動画を皆で見るのが当たり前だった。著作権に関する価値観も未成熟で、とにかく今よりずっと無法的な場所としてニコニコ動画はあった。

そこから発展し、アニメの音声や映像を切り貼りして独自のネタ動画を創り上げるMAD動画が大ムーブを引き起こしたのも記憶に鮮明だ。

総じて「アニメの映像はネット上の新たなエンターテインメントの一部として自由に使って良い。それに異を唱える方が時代遅れである」という価値観がネット全体を覆っており、権利者削除すら忌み嫌われるのが普通な時代だった。

ニコ動を通じて、ネット民の「どこまでがセーフか」と権利者の「どこからがアウトか」のせめぎ合いが続く中、アニメ業界でこの問題についていち早く動いてみせたのが京アニだった。

彼らはそのネットのノリを理解し、受け手をアニメの内側に迎え入れる選択を取ったのだ。

彼らは『らき☆すた』という様々なアニメのパロディを行う作品の中で、ニコニコ動画や2ちゃんねるで盛り上がっている要素を直接的な表現で取り入れた。権利者でありながら一部の著作権違反動画をエンタメとして認めたかのように振る舞ってみせ、公式でアンサーコンテンツを作成するまでに至った(※無論、著作権違反その物を肯定したわけではない)

この対応にネットは湧きに湧いた。
そもそも当時は、アニメが他作品のパロディを露骨に取り入れること自体が極めてグレーな行いだった。その中で、さらに黒に近いグレーとしてあったネットのコンテンツまでを内包することは、誰にも想像できなかったに違いない。

しかもそれが"あの京アニ"によるものだったのだから、ネット上の京アニフィーバーは正に留まることを知らないというもの。『らき☆すた』関連のMAD動画など幾つ見たか分からない。

この『らき☆すた』のヒットを機ににわかにパロディアニメブームが起き、「制作スタッフも自分達と同じようにアニメやネットを楽しんでいる人間である」という認識が大きく広まったようにも思う。

何を当たり前のことを…と思われるかもしれないが、当時の創り手というのは今よりも遥かに神聖なもので、踏み入ってはいけない領域にいるものと見られていた。京アニはその受け手と創り手の距離認識を変える先駆者となったのだ。

その後Twitterという手軽なSNSの発展もあり、受け手と創り手の間にあった垣根はさらにグッと縮まることになる。現代ではどちらかと言うと、創り手はフレンドリーであるべきで、受け手に親近感を湧かせる方式がメジャーとされている。

京アニが動かずとも、SNSの発展によってこの流れは自然に生まれたものかもしれない。しかし、実際の歴史として京アニがその礎を生み出したのは、事実であろう。

作品のクオリティが高いだけでなく、あらゆる方面からアニメ業界を盛り上げてきてくれたのが京都アニメーションという企業である。

アニメ文化の歴史を積み上げてきてくれた彼らの存在を、まだ過去形になどしてはいけない。心からそう思っている。

おわりに

ジャパニメーションの歴史に京アニ在り。
そういって差し支えないほどに彼らの残した功績は大きい。

彼らは存在その物がアニメ業界の歴史であり、文化であり、財産なのだ。

そのことがもっと多くの人に知られてほしいと願っている。

起きてはならないことが起きた。
自分の見ていた作品に関わったかもしれない人達が、これから関わっていくだろう多くの人達が、理不尽に命を奪われた。

京アニじゃなければ良かったというつもりは微塵もない。けれど、それでも「どうしてあの日あの時間に京アニの第一スタジオであのやり方だったのだろう」と思わずにはいられない。

来客が確定していることからセキュリティが解除され、スタッフの警戒心も緩んでいたタイミング、多くの人が作業に没頭している時間に、螺旋階段なんていう火も煙も一瞬に立ち上ってしまう構造の建物で、最もダメージの大きいガソリン爆発による犯行。何か1つでも違っていれば、ここまで大きな被害にならなかったのに、1人でも多くの人が助かっただろうにと、ニュースを見る度にどうしても思わされてしまう。

あんな状況にありながらも、サーバーが無傷で済むような対策を京アニは施し続けていたことがここ数日で分かった。それは我々が想像する以上に尋常ならざる陰の努力だったと思う。

その事実からだけでも、会社一丸となってあらゆる災害を想定し、「全てを守るための努力」を続けてきたのは明らか。だからこれは不幸中の幸いではなく、彼らの努力の成果とするべきだ。当然、人命にだって最大限の配慮が行われていたに違いない。

それだけのことをしてきた企業でも、こんな凄惨な目に遭った。我々はこれをただの事件として風化させず、1つでも多くの教訓を得る必要があると思う。

起こってしまったことは変えられない。亡くなった人は戻ってこない。でも、生きている者はその苦難を乗り越えていくことができると思う。何をどうしたらと、僕のような外野が軽々しく言えることではない。しかし当事者たる彼らが、いつの日かそうあれることをただ祈っている。

そして彼らが必ずまた京都アニメーションの威光をまとった作品を打ち出してくれることを、信じて待ち続けます。少しずつ時間をかけて、無理せず前を向いてください。応援しています。

最後にこの記事が、少しでも多くの人に京アニの存在と功績を知って(確認して)もらえるものであることを願って。

#PrayForKyoani

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