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感性は"老化"するのか"成熟"するのか その違いはどこにあるのか

投稿日:2020年2月13日 更新日:

先日、事情があって『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』というアニメを見た。2011年に世に出た作品で、もう9年も前の作品になる。

このアニメは放送当時にかなり話題になった作品で、当時のオタク文化に触れていた人の多くが名前は知っている作品だと思う。僕も周りからかなり視聴を進められた1人だったが、いつか見よういつか見ようと思っている間に9年の時が経っていた。衝撃。

この視聴から考えたことを、記事にしたためて行こうと思う。

歳を取ることによる変化

9年越しに見る『あの花』は確かに名作。
感動的なところも多かったしアニメとしての絵作りや話の展開など、批評的に見ても褒めるべき点が多い作品なのは間違いなかった。

だが当時の周りの熱狂ぶりを考えると、そこまでの心の動きはなかった。普通に良かったし普通に楽しんだが、滂沱の涙を流すほどの感傷に浸るほどではなかったということだ。

だから「言うほど面白くない」とかそういう野暮ったいことを言いたいわけではない。ただこの感じ方から僕は、自身が単純に歳を取ったのだと思った。

この9年の間に僕は大学生から30代になった。そして20代の10年間は重い。体感ではあっという間とは言え、実際に経験する社会的変化を考えると、感性や価値観は別人レベルにまで成長すると言って過言ではない10年間だ。

それを踏まえると、10年前当時に周りで流行っていたアニメを今見て同じように感動できないのは当たり前のことで、今感じているものを受け入れる他ないと思う。そしてこういうことは最近珍しいことではなくなっている。

悲しいことに、歳を重ねると若い頃のように真正直に感動するとか、腹がよじれるほど大笑いするということが少なくなる。本当に未知の衝撃的体験か、自分が本当に好きだと思うもの以外にテンションを上げられないし、それと出会う機会も減っていく。

これを感性の老化と言うべきか、それとも成熟と言うべきか、非常に悩ましい。どちらとも言える気がするからだ。

その是非はきっと自分の中にある。
そう考えて感性について考えて行きたい。

感性の"老化"と"成熟"

感動できなくなるから楽しめなくなるわけではない。もっと言えば、感動していないわけでもない。

歳を取ると経験値が貯まるせいで、受け入れられる感情の総量が自ずと増えて行く。昔なら自分の心では処理できなかった感動が、自分の枠の中に収まって咀嚼されている。その感覚で完結することは多い。

昔と同じものを何ならより深い理解で受け止めているはずなのに、心の充足感はパーフェクトではない。この物足りなさを「期待外れ」「大したことない」という言葉で片付けてしまうこともできなくはない。最近の作品なら「今時はこういうのが流行りなのか」とジジイぶって片付けることも可能だろう。

僕はここに感性の老化と成熟の分かれ目があると感じている。

老化とは世界を閉ざすこと

人間は最終的に理解よりも感情を優先する生き物。特にマイナス感情には敏感だ。8割良かったものでも2割良くなかったところがあると、その2割をどうしても語りたくなってしまうようにできている。

だから周りの評判が良い作品を見た時、自分の期待を超えないとそこそこ面白くても何故だかガッカリしてしまう。「期待しすぎた」という感想を抱いたことは、誰しも一度はあるはずだ。

歳を重ねるととにかくこの機会が増える。
ガッカリこそしないが「自分が最大限の期待をしても、どうせ超えてこないだろう」と思い、ハードルを下げて作品鑑賞をする。すると物凄い感動を迎えることはないが、"期待通り"で満足はできる…なんてことは日常茶飯事だ。そうやって折り合いをつけないと、詰まらないものが圧倒的に増えてしまう。

だが世の中にはそういうことはせずに、歳を取っても常に自分の感性を満足させてくれる作品・事象だけを求める人達がいる。こうなると、その域に届かないものの粗ばかりが目に付くようになり、色々なものに文句を言う時間が長くなる。

自分では普通にしているつもりでも、客観的に見ると不平不満ばかり言っている。周りで流行っているものの良さが分からなくなる。自分はもっと高尚なものを知っていると通ぶりたくなる。

その結果、このタイプの人はどんどん新しいものを受け入れられなくなる。自分の知っている範囲で満足できるものだけを摂取して、その中で安定する。気付いた時にはもう、世の中の流れに全く乗ることができない。そんな感性が出来上がる。

そのように生き進めることで、すべからく"老化"の一途を辿る。積み重ねてきたものがあるが故に、その積み重ねの中でしか生きられないからだ。

"老いる"とは、自分の世界を閉ざすこととイコールと言えるだろう。

そして恐れるべきは、全ての人間が意識して外れない限り、確実にこの道を歩むことになるということだ。

古い感性は上書きされる

さて、では"成熟"とは何だろう。
精神面における老化と成熟は、同じ方向を向いた真反対の言葉。対義語と言って良いような存在だ。老化が閉ざすことならば、成熟は単純に開くこと…と言い換えることはできるだろう。

ここで言う"開く"とは、新しいものに積極的で知識に貪欲である姿勢のこと。それさえ持てば、思慮と言う点では老化を回避して成熟することができる。

しかし、感性にのみ着目するとそれでは不十分だ。

前述の通り、人間は知識を得れば得るほど、経験を積めば積むほどに人間は感動できなくなる。そうなると、どうしても口から出る論説は冷静な解決に行き着きがちだ。文字通り「斜に構える」ことが増えてしまう。

「平凡な作品だ」「自分には合わない」「若い人にはウケるんだろう」という、自分がメインターゲットではないことを意識した評価で片付け、それを受け入れようとしない。否定しなければ悪ではないが、肯定することもない。それでは厳密に言えば感性は"閉じた"ままだろう。

思慮深さは新しいものを知れば知るほど更新されて行くのと逆に、感性は古いものが上書きされて忘れられていく側面がある。感性を研ぎ澄ますものは刺激なので、前より強い刺激を求め続けてしまうと考えると分かりやすい。

結果として、自分としては新しい知見を得て成長しているつもりが、周りから見たらただの面倒臭い奴に成り下がっているパターンも少なくない。

そうなるとやはり人間の感性は"閉じる"。
経験すればするほど、新しい刺激を受ければ受けるほどに人間の感性は先鋭化され、同時に"社会的に衰える"。「こんなにも勉強(経験)してきている自分が、その辺の奴より劣っているわけがない」というプライドが、自分の世界を狭小化してしまう。

ここから「老化と成熟の違いは自身の気の持ちようではなく、周りからの評価で決まる」と結論付けることができる。

社会的な反応や意見に難色を呈し、正当な評価に耳を傾けず、自身の中にある価値基軸を絶対のものとする。

そういった生き方に属してしまった人間は、自然と世間から"老害"の烙印を押されるような人間へと変わっていくわけだ。

褒める意識の重要性

この世界に根差す者として、できる限り"老化"せずに"成熟"した感性を持ち続けていたいところだ。そのためには何をしたら良いだろう?

僕はやはり「良いものの良いところを褒めること」を意識して続けるのが重要だと思っている。

8割良いと思ったなら、2割の減点よりも8割の良いところを語る。受け入れられなかった部分より、受け入れられた良いところを発信する。それが自分の見る目を発展させるはずだ。

文章などにしたためなくても口から発せば良い。「自分はこの作品(事象)からこんなに良いものを感じ取ったんだ」と自分で反芻して確認する。その行為自体が自分の視野を広げてくれる。

心が盛り上がっていることと楽しんでいることはイコールではなく、熱量が高いことだけが楽しみを表現する方法ではない。心の盛り上がりだけで作品を判断すると、酷く自己中心的な見方しかできなくなっていく。

自分が楽しめるところをいかにして楽しむか。そして自分が楽しめるところをいかにして増やして行くか。この2点を常に頭に置いて物事と向き合えば、上書きされる感性は最小限で済む。

逆にこの意識を失っている部分については、残念ながら知らず知らずのうちに感性の老化を迎えてしまっていることだろう。

普通に生きていれば老化していく部分の方が多く、このようなことを言っている身であっても"そうではない"ところは幾らでも存在するのが自明。

その中で自分自身が意識できる範囲はしっかりと意識を向け、成熟した感性を持った人間でい続ける。その努力くらいはするべきなのだ。

おわりに

"老いる"ことに着目した記事を書いたが、当然ながら感性のアップデート自体は大切なことだと思う。

幼稚な感性なままでは社会的な生き辛さをぬぐえないだろうし、周りと会話の質も噛み合わなくなっていく。いつまでも子供心を忘れない…なんて弁を否定はしないが、幼稚なことと若いこともまた違う。

若さとは、歳相応の教養と知識、感性を身に付けた人間が時折見せる子供っぽさや前のめりさのことを言う。そういう意味でも自身の積み重ねに意固地にならず、多くのものを受け入れて解釈しようという姿勢は重要だ。

つまり結局のところ、自身を若く見せることに必要なことと大人びて見せるのに必要なこともまた同じなのだ。それは転じて自身を魅力的な人間に見せることに繋がっていくだろう。

より多くのものに興味を抱き、視野を広く持って前向きに臨む。自分の解さないものを減らし、より多くのものを"楽しみ切る"姿勢を持つ。

それが歳相応に成熟した感性を持つ人間になるために必要だと僕は考えている。

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