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多くの人にとって「頭を使う趣味」は労働や義務と同じ 娯楽にはなり得ない

投稿日:2019年9月25日 更新日:

 

インターネットのコミュニティに属していると、全力で趣味や娯楽に興じる人で溢れているのが分かります。

仕事はそこそこに、自分の大好きなことに全力を注ぐ。
それが現代人のスタンスであり、今やそれが多数派になりつつある。そんな認識の方も多いのではないでしょうか。

しかしながら僕は最近、現実で外部の人と会話をしていて思わされることがあるのです。

実際の世間の人々というのは、想像している以上に"娯楽に頭を使わない"のだと。

熱を燃やせるものを持たない人々

現代では娯楽の形は多様化し、あらゆる個人のニーズに対応できる時代がやってきていると思います。探して選べば、どうとでも自分なりの楽しみを見つけることが可能です。

中でも最近は「お金を使わない娯楽や趣味」も数多存在しており、その最たるものがネットを中心としたデジタルコンテンツです。

作品鑑賞(ドラマやアニメ、漫画など)や他人とのやり取り、ゲームや読書などはもちろん、自ら作品を発表する創作やこういったブログの執筆などが挙げられます。僕自身もそれに興じる1人でしょう。

ネット上には娯楽に並々ならぬ情熱を向ける人達で溢れており、ネット界隈に属していると「誰もが熱を燃やせるものを持っている」と錯覚しがちです。

ですが一度ネットを離れると、世間の人々の認識はかなり異なっているようです。

世間の人々は、基本的に熱意を持って趣味や娯楽に臨んでいないことが分かります。

そしてそうなってしまう大きな理由は、"頭を使わない娯楽"にしか興じられないからだと推察しています。

「作品を深める」ことを"普通"の人は楽しまない

1つ具体例として「映像作品鑑賞」を挙げてお話します。

この分野を趣味としている人達は、ネット上ではアニメや映画を楽しむ人が多く、その他のコミュニティではTVドラマを嗜んでいる人が多い印象です。

ネット上の人々は好きな作品を考察し、語ることを楽しみとしている節があります。ですから人気のアニメや映画は長い感想や論評、好きなキャラクター語りなど、場合によっては激論が交わされながら、燃えるような盛り上がりをみせていることが多いです。

ですが逆に、TVドラマを語っている人はあまりいません。
ドラマの良さについて語り合う…といった状況は、「ドラマ"も"嗜む」一部の層の人達のみのニッチな趣味となっているきらいがあります。

実際TVドラマの「素晴らしさ」を語り、考察し、共有するという文化は、現実の会話にもあまり存在しません。ドラマ界隈では「面白い作品」を確認することはあれど、「どう面白いか」が語られることは少ないのです。僕も実際にそういった経験は数多くあります。

では、何故そうなってしまうのでしょうか?

どうやら、ドラマのメイン視聴層は「面白かった」「詰まらなかった」といった極単純な評価軸でしか作品を見ていないようです。

語られるとしたら「俳優や女優の演技や顔がどうだったか」という分野ばかりで、内容についての言及はほとんどありません。驚いたことに「作品を深める」という楽しみが、多くの人の中には存在していないのです。

そして世の中の多数派はどちらかと言わなくてもこういう人達に違いありません。多数派を普通と言うのであれば、彼らこそが"普通"の人達です。

「どういうところが面白かったんですか?」と聞いても答えることができず、「面白かった」ものは「面白かった」という言葉だけで表現する。それが世の中の"普通"なのです。

ドラマでは「考察」=「革新的エンタメ」になる

補足として1つ、より細かい例を見て行きましょう。

先日まで日曜日に放送されていたドラマに『あなたの番です』という作品があります。

このドラマはTVドラマでは相当珍しい2クール継続展開を行った作品で、そのセンセーショナル内容と演出から「先を推理し考察する」楽しみを、世間に浸透させたと言われています。

それについて多くのメディアは「革新的なエンターテインメントを成立させた」という語り口で解説しています。

しかしアニメや映画文化であれば、同様の作品の読み解き、読み込み、考察は多くの作品について当たり前のように行われているものです。それがTVドラマでは"革新的"になってしまうのが現実です。

この事実だけでも、ネットのコミュニティに属している人と、そうではないコミュニティで生活している人の間には「作品を楽しむ」という分野に、凄まじく大きな開きがあることが分かります。

頭を使うことは労働や義務の範疇

僕はこういった経験や実例から、世の中の多くの人は「頭を使う娯楽」を楽しむことができないと考えています。

確かに世の中の娯楽は多様化し、選びたい放題の時代が来ているのですが、エンタメと称されるものの多くは「時間」か「お金」か「頭」を使うことで成立しています。

そして、人間が尋常ではない熱量を燃やせる娯楽の多くには"頭を使う要素"が入っています。

ネットに属している人達は、その集合知を利用して「趣味に興じる」ことがナチュラルにできる頭を鍛えているように思います。

しかし、世の中の"普通の人"はそうではありません。
"普通の人"は、頭を使うことは義務や労働の範疇であり、娯楽に当てはまるものではないと思っていると考えられます。

ですから、ネットの人達が情熱を燃やしているものの存在を、彼らは認知することができません。「どうしてそんなに何かに熱くなれるのか分からない」と言われたことがある方も、大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

そして熱くなれるものを持っていない人達は、本当に楽しい人生を送っていると言えるのでしょうか。

頭を使わないと趣味の内容が限定される

頭を使う娯楽を楽しめない。
自分がそういう人間だという仮定を持って、自分の楽しんでいる趣味と向き合ってみてください。恐らく、多くの方が自分の趣味を楽しめなくなってしまうと思うはずです。

では、そんな人達は一体何を楽しみに生きていると思いますか?

簡単です。
彼らは「心揺さぶられるもののみを娯楽に選ぶ」のです。

例えば恋愛。
恋愛の本質は頭で考えるのではなく、心の動き=感情に従うものです。最愛の相手を見つければ、日常の些細なことが娯楽に変わる。それが恋愛の最も素晴らしいところでしょう。

だから、趣味に没頭していない人ほど、恋愛に向ける情熱は大きいと僕は考えています。

また本質からは少しズレますが、キャバクラや風俗、ホストクラブといった性のジャンルにお金を使うのも、頭を使わずに興じられる娯楽の代表格として、恋愛関係の枠に入っていると言って良いでしょう。

次にギャンブル。
何もしないで快楽や興奮を得られるギャンブルは、最高の娯楽であり快楽です。

特に「頭を使わないもの」が求められるとすると、日本ではパチンコが一大ジャンルを築いたのにも納得できるというものです。

また昨今ではソーシャルゲームのガチャも、広義の上ではこれに含まれるでしょう。ただし、ネット上には「ゲームも頭を使って全力で楽しむ」という人が多く、「ゲームが趣味」と言い切れるような人達は、このギャンブル性のみが楽しみの全てではないと考えられます。

さらに酒とタバコ。
特に何も考えず、接種していれば気持ち良くなれる物質は生活に必要不可欠。

大人になると何をするにも酒!酒!酒!なことに辟易する方も多いはずですが、こういったもの"でしか"楽しみを見出せない人達もいるということ。こういったもの"も"楽しめる大人でありたいものです。

ネガティブなものばかりが続きましたが、主に覇気が大人や、人生に楽しみが見出せない方、無趣味と言われる方は、こういったものに時間やお金を浪費してしまっている傾向が強いように思います(恋愛は良い恋愛ができれば尊いものです)

そして、これだけ娯楽が多様化した現代でも、こういったもののシェア率が依然高いままであることもまた、「頭を使う娯楽を楽しめない人が多い」ことの裏付けとなっていると思います。

以上のことから、「娯楽に頭を使わないこと」は人生の堕落や浪費を招きやすく、結果として自分の人生を詰まらなく、目的のないものにする可能性を高めてしまうと言えるのです。

頭を使わない優れた趣味

しかしもちろん「頭を使わない娯楽」のみを謳歌する人達でも、情熱を燃やし日々を充実させて過ごしている方もいらっしゃいます。ちゃんと選べば、頭を使わずとも情熱を燃やせる趣味は見つかります。

上ではネガティブなことばかりを書いてしまったので、この項で「頭を使わない優れた趣味」の方もピックアップして行きましょう。

誰かのファンになる

「アーティストやアイドルなどのファンになる」というのは有力な選択肢です。

恐らく最も確実に「気持ちの昂り」を熱量に変換できるのは、誰かのファンになることだと僕は考えています。

自分から何かをする趣味を持つことができなくとも、応援する気持ちだけで生き甲斐を獲得することができる。そんな魅力が、この分野にはあります。そして多くの人がそうやって「生きる理由」を自分に与えているのも間違いありません。

作品鑑賞と違い優れているのは、自分で考えるのではなく相手の存在や創作物を"受け入れる"ことだけで、情熱を得ることができる点でしょう。

頭を使わずに情熱を燃やしたいなら、何かを好きになるより誰かを好きになる方が手っ取り早い。これは確実です。

食事

食事にお金をかけるのも、良いものです。
頭を使わずとも感じるものがある分野は、自信や覇気を与えてくれるもの。

何より、美味しいものを食べるのは「知らない感覚を知る」ことにも繋がるので、知識や経験値として蓄積されて行きます。頭を使わずとも人生が豊かになりますね。

最近では、SNSに写真を上げるために見た目が美しい食事を摂る(撮る)人もメジャーな存在になりました。広義では彼ら(彼女ら)も、この「食事」を楽しんでいる人にくくって良いでしょう。

旅行

旅行も、頭を使わない趣味と言うこともできます。
風景を見て、感じたことのない文化を体験して、記憶する。こちらも食事同様に、考え事をせずに人生を豊かにする方法と言えるでしょう。

もちろん、事前にしっかり準備をして計画を練り、万全の態勢で旅に出発する…ということを楽しみにしている方もいると思いますし、そういう見方をすれば頭を使う趣味とも言えます。

これも作品鑑賞と同じく"どう楽しむか"によって変わる分野ですね。

ゲーム

最近では頭を使わない直感的なゲームを嗜む人もかなり増えています。『ツムツム』や『ポケモンGO』などはその最たる例でしょう。

基本無料スタイルが中心となったことでお金をかけずとも熱中でき、なおかつ直感的に楽しめるタイプのスマホゲーは、一定のシェア率を誇るようです。

一大ブームを巻き起こした『パズドラ』や『モンスト』も、指でなぞるだけで何となくプレイできるのが流行のきっかけになったと思われます。そこから、"どう楽しむか"がプレイヤー層の分かれ道となったというところ。

良い趣味と言えるのかは微妙なラインですが、"普通の人"は無課金前提のプレイがほとんど。だとすれば、「お金の浪費を避けられる」というだけでも優れている、ということはできそうです。

流行に乗る

ジャンル問わず流行りに乗り、皆で同じものを共有して盛り上がるのも頭を使わずに熱量を燃やす方法です。

多くの人は自分で考えて正解を探すより、他人に与えられた正解を沿う方が楽で確実だと考えています。

「関心はあるけれど、自分でどうにかできるわけじゃない。誰かに導いてほしい」と考える人達が多い分野は、特に流行というものの重要度が高く、服飾などはそれに当たります。

逆に言えば「流行を押さえておくことで確実に自分を良く見せられる」わけですね。

自分への自信は人生を前向きにするし、友人と盛り上がるのは、どんな理由であれ最高の活力を与えてくれます。

ネットでは「流行」は蔑まれがちなところがありますが、人生を楽しむ上で、こういったものを上手く利用している人達もいるのだと考えています。

 

その他スポーツもこの「良い趣味」の範疇に括れると思われますが、スポーツは「頭も身体も使う趣味である」とし、この記事では明言を避けました。

また上記したもの全て、当然極めれば極めるほど最終的には「頭を使う」ことになります。考えなくして、より良いレベルに上がることはできません。

「頭を使う娯楽」を好まない人でも、熱意を燃やせるものさえ見つかれば、それに向かって頭を使うようになります。そうすれば、自ずと頭を使う楽しみにも気付いていく人がほとんどでしょう。興味と向上心が、物事を楽しむ心を育てるのです。

まとめ

このようにリスト化して行くと"普通の人"の趣味が、何故同じようなものに落ち着くのかが見えてくるのではないでしょうか。ネットに属している人達からすれば「よくいるタイプだ…」という感想かもしれません。

断っておくと、彼らは「頭が悪いから」こういった趣味に興じるのではありません。「頭を使いたくないから」それに合わせて趣味を選んでいるのです。

頭が悪くても、頭を使う趣味に一生懸命熱意を燃やしている人は沢山いるはずですし、逆に頭が良くても、プライベートでは極力頭を使いたくない人もいるでしょう。

なのでこの記事は、趣味の分別から頭の良し悪しを定めるものではありません。あくまでそういった才覚や能力といった部分とは別の部分で「頭を使いたくない」という価値感が存在することを趣旨にして語って参りました。

そしてその「頭を使いたくない」価値感は、数多存在する娯楽や趣味の選択肢を非常に狭くしてしまうものには違いないのです。

情熱を燃やせるものに貴賤はありません。
もしこの記事をお読みのあなたが、最高に熱くなれる趣味や対象を持っているのであれば、その内容は自分だけの特別なものです。

でも「無趣味・無気力といったことに悩んでいる」「情熱を燃やせるものがない」といった人達については、プライベートで頭を使うことから逃げてしまっているのが原因である可能性が高いと思います。

以前は仕事に情熱を燃やせば相応の対価を得られ、そのお金で消費的な趣味に興じていれば人生を楽しみ切れる。そんな時代があったようです。

残念ながら現代はそうではありません。
仕事を頑張っても労働に見合った報酬が得られることは少なく、自分が熱を燃やせるものは自分で見つけて行かなければなりません。そのためには、楽しめる娯楽の選択肢を増やすことは非常に重要になってきます。

もし「頭を使う趣味」を楽しむ心を既に持っているのであれば、それは持っているだけで人生を充実させてくる大変素晴らしい価値感だと断言できます。

自分で考え、自分で自分の人生の楽しみを見つけられる。それはなかなかできないことなのです。是非今後も大事にして、あらゆるものを楽しんで頂ければと思います。

逆にこの記事の内容について「考えたこともなかった」という方が読んでいることがあれば、是非「頭を使う趣味」を選んで挑んで、一度楽しんでみてください。世界がより輝いて見えるようになるはずです。

大事なのは楽しむ心。
そしてそれを育む価値感です。

より多くの人が、自分の中のそれを大切にできることを願って、この記事は締めさせて頂きます。

お読み頂きありがとうございました。

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