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『ドラゴンボール』は本当に王道作品か?「ドラゴンボールハラスメント」の記事が炎上した理由を作品ファンの視点で真剣に語る

投稿日:2018年10月17日 更新日:

 

にわかに盛り上がっている「ドラゴンボールハラスメント」の記事。20年くらい『ドラゴンボール』大好きなので無視できませんでした。

先輩に「ドラゴンボールくらい読め」と言われて『ドラゴンボール』を読んだ結果、まぁ言うほど面白くなかったという結論に至ったという内容。

これに対して「粗探しをしているだけ」「良くない出会い方の典型例」など厳しい意見が浴びせられているという状態です。

言いたいことに一定の理解は示せるのですが、どうにも物凄い勢いで叩かれてしまっている。なので書き方や着地点にそもそも問題があるのだろうと思い、文章を繰り返し読みながら理由を色々と考えること小一時間。僕なりにその理由をつまびらかにすることができました。

この記事では件の記事が炎上している理由を、重度の『ドラゴンボール』愛好家の僕が『ドラゴンボール』という作品への想いを語りながら紐解いて行こうと思います。一辺倒に叩くだけの記事ではなく、できる限り具体的な理由を挙げて書いて行こうと思います。よろしければお付き合いください。

そもそも『ドラゴンボール』は王道作品なのか

件の記事では『ドラゴンボール』(※以下『DB』)を面白いと思えなかった理由に「どこかで見たことがある王道作品である」ことを挙げています。これは『DB』などを参考にして創られている新しい王道作品に触れていることが影響しているとも語られています。古い作品が必ずしも新しい人間の心に響くわけではないということですね。

ここで少しだけ自分語りを。
僕はギリ平成生まれの30代なのですが、『DB』の原作については誇張抜きに学年で1番詳しいレベルに読み込んでいました。親が集めていたので、リバイバルヒットが始まる前から読みまくっていたという経緯があります。

それから20年ほど生きてきて様々な作品に触れ、自分でも物語を書く側になりましたが、『DB』は自分の中で1つ神格化されている作品と言って良いと思います。

そういう立場からして思うのですが、『DB』って本当に王道作品でしょうか?

もちろん作品のクオリティ、売上、知名度を持ってして王道と言わないわけはありません。でもそれは対外的に作品を評価する場合の話。ストーリーや世界設定に関して、あの作品を王道とくくって良いかと言われると首を傾げてしまいます。

どれかと言うと、王道も邪道も通り、さらにその辺の目に付いた小道までも雑多に歩き尽くした結果、奇跡的に出来上がった作品というイメージです。

加えて「バトルというジャンルが漫画において王道」そう言われれば『DB』は間違いなく王道です。ですが、バトル漫画の中では恐ろしく一辺倒ではない作品です。

例えば主人公の孫悟空は最強の座をほしいままにしているのに、対戦結果だけ見ると実は負けた&死んだ回数があまりにも多い。復活して無双するのかと思いきや敵が強すぎてボコボコにされる。強くなったのに勝てない。こんなことが常に起こります。

子供の頃「また負けるんかい」と何度思ったか分かりません。でも青年期以降は孫悟空が最強だと誰もが信じて疑わないという構造が貫かれている。

これが『DB』が圧倒的に優れている点の1つだと思います。

こういう要素だけ見ても、とても実直なサクセスストーリーとは言えないはず。冷静に内容を精査して行くと、ひん曲がった意地悪な展開の方が圧倒的に多いです。個人的に『DB』で順序立ててまともに王道貫いてたのってセルゲーム辺りだけだと思うんですよね…。

なので、そもそも『DB』を単純な王道作品としてくくって語ること自体が、ファンから「お前ちゃんと読んだか?」と思われてしまうような物凄く大きなマイナス要因になっていると考えています。

設定に関しても「突っ込みどころが多い」と語られていましたが、まぁこれはもう完全に粗探しなので割愛します。あれらを「王道設定だ!どこかで見た!」と騒ぐのはフィクション全体を否定しているのに近しいレベルかと。

しかしこれは先輩からハラスメントを受けたという理由の他に、現代は「ドラゴンボールは王道作品である」などの知見を持った状態で作品を見ざるを得ない環境であるのも影響しているでしょう。

そこから「王道らしき個所だけが目についてしまう」という色眼鏡を外すことはできないのかもしれません。

『ドラゴンボール』は「生きること」が目的の作品である

件の記事では、『DB』のストーリーは「いきあたりばったり」で創られている。その結果、深みのない世界になってしまっており「ゴールのない物語」を淡々と見せられているような感覚に陥ってしまったとのこと。

正直「いきあたりばったり」なことは同意です。と言うより事実だと思います。昨今の鳥山先生を知りながら、過去の発言を見直しているとそうだと言わざるを得ないですよね…。謙遜とか…嘘とか…言ってなかったんだなって…。

ですが僕の作品感は、記事に書かれている内容とは全くの真逆です。『DB』がその創りでも面白いのは「ゴールのない物語」だからだと断言します。

恐らく件の記事は『DB』には『NARUTO』で言う「火影になる」『ONE PIECE』で言う「海賊王になる」という目的が存在していないことについて言及しているのだと思います。確かに『DB』にはそういう目標のようなものはありません。

何故なら『DB』は「生きること」自体が目的の作品だからです。

その「生きること」に際して障害となるものを常に取り除き続ける漫画であり、各章ごとの目的は常に明確です。「そのために何をしなければならないのか」が場面ごとに変わるだけで、目的その物を見失う展開は1つとして存在していません。「いきあたりばったり」でも面白いのはこのためです。

何が起きるのか分からない面白さは「生きる」という目的によってより際立ちます。キャラクターは常に活き活きと動いているように感じますし、全ての障害が取り払われ「終わったー!!」と言いたくなるような大団円を迎えるカタルシスは、何物にも替えられない素晴らしさがあります。

確かにゴールはありません。キャラクターが生きている限り続けて行くことができる作品だったし、いつでも終われる作品でもありました。「もうちびっとだけ続くんじゃ」で無限に続いた作品です。実際本当はピッコロ天下一武道会で終わりたかったとかフリーザで終わりたかったいう噂も幾らでもありますし…。

その代わり、10年かけて42巻連載したのに、作品内では1年しか経っていなかったということもありません。作品が続けば展開に合わせてキャラクターは有無を言わさずを歳を取って行くし、子供は生まれて大きくなって、気付いたらブルマはすっかりおばさんに。そんな作品です。

「生きる」というゴールが明確だったので「いきあたりばったり」な面白さがありました。

なので「いきあたりばったり」であることと「ゴールのない物語」であることを同時に挙げての批判は、この作品においては矛盾しています。「批判するべく行われた粗探しである」という酷評が付く最大の理由はここでしょう。

冗長になりがちなマイナス要素を2つ掛け合わせて、極大のプラスを生むことに成功していたのが『ドラゴンボール』です。

「私たちが生きているような世界に近い世界観を前提にして物語が繰り広げられて」いることまでは理解しているのにも関わらず、そこから拡がったのが設定の粗探しとストーリー批判だけであり、キャラクターが活き活きと輝いているところに目を向けてもらえなかったのは残念でなりません。

これは"普通に作品に出会っていれば"伝わっていたかもしれないところだとは思うんですけどね。

時代背景考証と作品批判がマッチしていない

件の記事に書かれている

ドラゴンボールから多大な影響を受け、さらに改良を加えてきた作品を読んでいる私にとって、ドラゴンボールは「よくある絵」であり「どこかで読んだことのある物語」に感じてしまったのです。もちろん、巨人の肩の上に立つそれらの作品だけを評価している訳ではありませんが、先にそれらの作品を読んでしまっている私にとって、このように感じてしまうことは仕方がないことでもあるかと思うのです。

という記述についてですが、これには一定の理解を示せます。

こういうことは僕自身にもあるからです。最近の若者のよくある感性の1つではないでしょうか。だから「ドラゴンボールハラスメント」なんて言葉がこうやって爆発炎上しているのだと思いますし。

僕自身も「古い作品の良いところは新しい作品にも含まれている」というのを自論の1つに掲げています。膨大に増え続ける名作を限られた時間で全て見るのは実質的に不可能です。

なので、新しい作品に優先して触れて行くという選択も別に間違いではない。そのせいで古き名作を見た時の感動が薄まってしまうというのも十分に考え得る状況です。

ですが、僕は件の記事の作品考証とこの理屈(結論)が噛み合っていないように感じています。

その理由なのですが……『DB』と同じような作品ってほとんどない、ですよね?(不安)

結構色々見ている方だとは思うのですが、『DB』と似ている作品を問われても名前が挙がりません。個人的に同じジャンプ作品で言えば『ジョジョの奇妙な冒険』や『ONE PIECE』に影響を受けている作品の方が遥かにたくさんあるように感じます。

もちろん、要素だけ見ればオマージュを感じる作品は幾らでもありますが、あれを「どこかで見たような作品」と言えるほど近しい作品に出会ったことがないのです。

と言うか『DB』には、あの作品で登場したことによって全て使い切られてしまった(『DB』のイメージが強すぎてその後の作品で使い辛くなった)設定と展開と要素があまりにも多いと思うんです。

終了して20年以上経ったまま復活もせず、今や知る人ぞ知る名作になりかけているなら近しい漫画が許され、何かしらヒットしているはずです。「昔のあの作品にそっくり」ということは創作の世界ではよくある話ですので。

しかしながら『DB』は10年足らずというかなり短いスパンでリバイバルヒットの機会に恵まれ、そのまま現在進行形で愛され続けている作品なので、近しい作品が許されてヒットするようなタイミングが存在していないはずなのです。

結果として「ドラゴンボールだけのもの」になってしまっている極端な設定などがとてもたくさんあると思います。

件の記事が叩かれている要因の1つに、この「言うほど近しい作品がない」というのは挙げられるように思います。近しい作品があることにして、過去の王道作品を叩くための道具に『DB』が利用された=記事を書くために結論ありきで『DB』に触れに行ったという感じ方をしている方が大勢いるのではと推察しています。

ただし、感じ方は人ぞれぞれです。
たくさんの作品に触れていれば「被っている部分」の平均値に『DB』がいるという可能性も十分に考えられます。これは大人になってから『DB』を読んだ人にしか分からない感覚ですので、少なくとも僕には一切伺い知ることができないことです。

炎上騒ぎには、ここの感覚の乖離が影響している可能性もあると言えるでしょう。

まとめ

僕の感覚だと『ドラゴンボール』を面白くないと言う人がいること自体は全然不思議ではありません。というか今の自分が読んでそんなに神格化するほど好きになるかと言われたら、多分ないのかなとも思います。翌年には内容の8割を忘れているような漫画だったでしょう。

なので僕は件の記事を執筆した方の感性を否定しようとか、おかしいとか、無能であるとか極端なことを言いたいとは思いません。8割以上についてはそこまで言うべきでもないと思います。

ですが炎上に相当する大きな過ちがあったとも当然思います。それが「元々あった結論にハめた」ようにしか見えない記事内容なのです。

『ドラゴンボール』を本当に楽しむつもりで読んでくれていれば、このような結論に辿り着くことは決してない。ありえない。そう思えてしまうような結論にこの記事は至ってしまっていた。

それが多くの読者の反感を買い、批判を集めている理由なのだと思います。

僕も最初は「どんな切り口で『ドラゴンボール』を批判しているのか楽しみだな~」と思い記事を開きましたが、読み終わった後のコレジャナイ感にはかなりモヤッとさせられました。この作品を楽しもう、良いところを吸収しようとした痕跡が一切感じられなかったからなのでしょう。

その具体的な理由は、この記事で長々と書いてきた通りです。皆様の心の引っかかりを解消する内容になっていましたら幸いです。

「こんな作品も触れていないなんてありえない」という物言いは、本当に想像を超えるくらい鬱陶しいものですし、僕が「別に新しい作品からでも良いだろ」という自論を持っているのも、過去のそういった経験が少なからず影響しています。なので、あの記事を書いた書き手の気持ちにはかなり共感しているタイプだと思います。

それでも、やはり作品に触れる時は「良いところから」を常に意識するのが、クリエイターでありライターでありエディターのあるべき姿だと思っています。その結果がネガティブなものに落ち着いてしまうことと、最初からネガティブなものを求めているのとでは、得られるものが全然違います。

先輩の物言いは心底ウザかったのだと思いますし、ネットの反応を見てショックを受けて余計『ドラゴンボール』という作品が嫌いになってしまうということも今後あると思います。

それでも彼にとってこの経験が更なる飛躍のキッカケになっていたら良いなと、作品ファンの自分は思います。どんな形でも好きな作品が良い影響を人に与えるならそれが1番喜ばしいことだと思うので。

ただ、どんな理由であれネットで記事がバズって会社のサイトのアクセス数を伸ばすなんて社会人として十分な仕事をしていると思うし、それはそれとして末端のブロガーとして拍手を送りたいと思います。今後もライター生活を楽しんで行きましょう。

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