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【供養】旅立った祖父を想いながら綴る

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殺しても死なないようなジジイ。
有り体に言えば、僕の祖父はそのような人だった。

90を過ぎても背筋はピンとしていて、杖も使わずに堂々と歩く人だった。頭の回転も早く、お金の計算や事務処理も全て自分で完璧にこなした。人の手が必要な時は的確に連絡を入れ、度を超えたせっかち故に周りを振り回した。

車の運転が大好きで、歳を取ってからもとにかく車の運転をしたがった。高齢者ドライバーに風当たりが強くなってからも運転はやめようとせず、「高齢者講習で反応スピードと技術が50代並みだと褒められた」といつも自慢していたらしい。多分本当にそうだったのだろうが、そういう問題ではない。これには親族一同、ほとほと困らせられたものだ。

身の周りのことでできないことはなかったし、介護なんて言葉とは一切縁がないようなスーパー高齢者だった。施設に移ったり親族と同居する選択肢もあった中で、とにかく祖父と祖母は2人で生活することにこだわっていた。そういう意地だったのか、単純に「困っていない」と思っていただけだったのかは、今となっては定かではない。

ただ結果として祖父は誰にも迷惑をかけず、大きなトラブルを起こすこともなく、皆に愛された「元気すぎるジジイ」のままにこの世を去った。享年95歳。紛れもなく大往生だ。

寝たきりになってズルズルと生きることもなく、かと言って急死でもない。執拗に親族の手を煩わせず、良い感じに皆に心構えと別れまでの時間を与えてくれた。まるで尊厳ある死を、自分の力で選んだようだった。

2020年の年末に親族が医者に呼び出された時は、「年は越せないかもしれない」と言われていた。体調を崩してから危篤になるまでは早く、その頃は親族もかなり気を張っていたと思う。

しかし祖父はそこから謎の生命力で一時的に持ち直し、呼びかければ分かってくれる程度にまで意識を回復させていた。体調が良くなることはなかったが、その現象については医者も「正直驚きを隠せないし、生命力で持ち直したとしか言えない」と言っていた(※検査をすれば要因を突き止めることができたかもしれないが、それをする体力が残されていなかったそう)

結局祖父はそこから1ヶ月以上生きて、僕もその間に一度だけ見舞いに行くことができた。これには頑張ってくれた祖父に感謝するしかない。コロナ禍で自由な面会が許可されておらず、諸々の都合のせいで一握りの親族しか会いに行けなかったのは本当に悔やまれる。

最後に医者から「もうあと数日だろう」と連絡を受けてからは、1日と経たずに他界した。その早さもイレギュラーなものだから、最期の瞬間には誰1人として間に合わなかった。自分で決めたら人の言うことは一切聞かずに動き出す、あまりにも祖父らしいせっかちな最期の遂げ方だった。

思えば僕にとって、祖父は人生における希望だった。もう1人の祖父に当たる人物は僕が生まれる前に他界していたから、「身近な同性の高齢者」と言えば祖父だけだった。その祖父は幾つになっても元気でパワフルで、何を理由にしているか分からないような活力に常に満ち溢れていた人だった。

90手前で作業の手伝いに呼び出された時は、20前半の僕に「俺が穴を掘るから、お前には看板に張る紙に字を書いてきてほしい」というトンチキな要求をしてきた。「いやいや絶対に逆でしょ」と言ったが、全く聞いてくれる気配はなかった。あれはどうにも忘れられない。

『ポケモンGO』が一大ニュースになっていた時に一緒にご飯を食べたら、スマホを持っている僕に向かって「おぉお前もあれやってるのか?」と聞いてきたのも記憶に新しい。その歳でなんでそんなことをチェックしてるんだろうこのじいさんと思わされた。

僕の結婚披露宴では、自由時間の前に周りの静止を振り切ってニコニコしながらビールを注ぎにやってきた。これには苦笑いしかなかった。とても良い笑顔をしてくれていた。まぁとにかく、何から何まで死ぬ間際まで、本当に元気で誰の手にも負えない規格外のジジイだった。

そんな人をずっと身近に見てきたから、僕には刷り込みのように「長生きすることは楽しいことだ」という気持ちが備わっている。僕は子供の頃から「可能なら元気なまま150歳くらいまで生きていたい」と本気で思っているし、それは今も変わっていない。

もしこれがもっと早くボケてしまったり、親を困らせてばかりいる祖父母だったなら、僕はもっと違う価値観で生きていたのだと思う。昔は「そこそこの年齢で死にたい」と言う人の気持ちが全く理解できなかったが、そういう人は祖父母の晩年に問題があるケースが少なくないとある日に気付いた。

僕が先の人生に希望を持っていられるのは、それだけ高齢期をたくましく生きてくれていた祖父のおかげだったのだ。大人になってから、その幸せとありがたさを感じることができるようになった。

その祖父は最期まで僕のその価値観を変容させることなく、1人の人間として文字通りの天寿を全うしてくれた。その晩節を汚さない終焉には、思っていた以上に強く心を打たれてしまった。

世の中に100点満点はないし、悪いところを見れば後悔が残る箇所はある。だがそれは人間が最後には必ず死を迎える以上、決して無くならないものなのだろう。95点の終わり方をしても、残された側は残りの5点を見てしまうし、それを悔み続けるしかないのだと思う。

現に祖父もコロナ禍のせいで最後数ヶ月はほとんど祖母に会うことができなかったし、結果としてそれが憔悴を早めてしまったきらいはあった。祖母も祖父に会えないことで痴呆が進んでしまい、かなり寂しい思いをしてしまっている。

逆にこれには、この歳になってもそれほどまでに夫婦で求め合っているのだな、とても素敵な関係性の2人だったんだなと感じもした。身内としてとても誇らしく尊敬できる2人でもあり、それ故に現状には余計に胸を締め付けられてしまうところがある。

そして祖父はスポーツを見るのが好きだったから、東京五輪はさぞ楽しみにしていたことだろうと思う。それを見せてあげられなかったのも心が苦しい。でもこれらは、本当にどうしようもないことだった。僕らだけでなく、全ての人がその影響を受けている。

祖父は太平洋戦争の戦時中、もう少し戦争が長引いてたら戦死していた可能性も高かったそうだ。それをギリギリで回避できたのも巡り合わせだし、晩節の楽しみと幸せをコロナ禍に阻まれたのも巡り合わせ。そう言う他ないのだと思う。

そんなドライな考えで全てを片付けたくはないが、それが真実でもある。少なくとも僕にとってこのコロナ禍は、祖父母の話をもって後世に語り継ぐものになることだろう。ウィルスとの戦いは病気その物との戦いだけでなく、環境の変化も含めた戦争なのだと改めて実感させられた。

もし今年でなければ、もっと良い最期を遂げさせてあげられたのかもしれない。けれど、今年だったからこそ祖父はその奔流に翻弄されて亡くなってしまったのかもしれない。全ては"たられば"でしかない以上、僕は祖父が最期をどのように生きたかを、よりしっかりと見てあげたいと思った。

2021年を迎えてから、病室にいる祖父と顔を合わせることができた孫は僕だけだったようだ。言葉を交わすことは敵わなかったが、呼びかけたらこちらを見てくれた。「おばあちゃんが顔を見たがっているから写真を撮るよ」と言ったら目を開けてくれたし、「OK」と手を丸くしたらそのまま目を閉じてくれた。きっと分かってくれていたと思う。

僕は祖父母にとって長男の長男で、とにかく目をかけてもらっていた。「家」のことを話すのは主に祖母だが、祖父が少しでも同じように思っていたとしたら、最後にせめて1つ恩返しができただろうか(※断っておくが、そういう価値観が根強いだけで大層な家柄ではない)

亡くなってから葬式を終えるまでは可能な限り時間を確保して一緒に過ごせたし、最期の顔も何度も見た。幸運なことに死化粧を終えた祖父は口角を少し上げてもらっていて、いつもニコニコしていた生前ほどとは言わないまでも、どこか笑っているように見えた。だから、最期まで祖父の顔を見るのは辛くなかった。

人は死ぬと冷たくなると言うが、祖父の顔を触ってみて本当に冷たいのだと知った。親族の遺骨を見たのもこれが初めてだった。もっと悲しく辛いと思っていたが、意外と何も感じなかった。どちらかと言うと、棺を見送る瞬間の寂しさがピークだった。その時に、祖母が一番泣いていたからかもしれない。

僕が元気な祖父に会ったのは2020年の8月が最後。コロナが少し落ち着いていた盆の頃だ。あれから数ヶ月で一気に状況は変わり、秋から冬にかけては全く対応できなかった。次に会った時には、憔悴して痩せ細った祖父を見送ることになった。

だからか、まだ快活な祖父がふとニコニコしながら目の前に現れるのではないかと感じてしまう瞬間がある。元気な頃の祖父と亡くなった祖父のリンクが取れていない部分があるようだ。そんな幻想を取り払うまでには、もう少し時間がかかるのだと思う。

僕がイメージする祖父は、これからもあの元気な祖父の姿なんだろう。どれだけ最期の時間を共にしても、僕の脳裏に浮かぶ祖父は、結局ニコニコして全然人の話を聞かないスーパー高齢者のままだった。

これからも祖父は、きっと僕の指標として頭の中に存在し続ける。そして自分が同じくらいの歳になった時、僕は「俺のじいさんは95まで元気に過ごしていたからな。俺もそこまでは頑張って生きないといかん」とか言って周りを困らせているような、そんな気がする。

執り止めのない文章になってしまったが、今の気持ちをしっかりと吐き出しておこうと思う。もう僕らは普段通りの生活に戻らなければならない。いつまでもおじいちゃんのことで頭をグルグル回し続けていたら、きっと天国からお叱りを受けてしまうしな。

寂しくないかと言われたら嘘だけど、全ての人がいつか死ぬ以上は別れは必ず訪れる。それならばせめてこうやって生きて、こうやって死にたい。そんな1つの理想形を見せてくれた祖父は、これからの僕の人生の誇りです。

ありがとうおじいちゃん、どうか安らかに。またいつか、遠い未来に会って話せることを祈っています。

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