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『MIU404』総括 社会問題をエンタメ化する意義 見えざる人々に寄り添う物語

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先日最終回を迎え、惜しむらく終了した『MIU404』。

Twitter上では感謝祭が開催され、来週末にはParaviにてディレクターズカットの公開が控えているなど、まだまだ興奮冷めやらぬと言ったところ。

このブログでも毎週に渡って長文感想記事をしたためてきましたが、ここで一旦区切りを設けるために総括を書かせて頂きます。

数々の感動を巻き起こし、ネットにテレビに話題を席巻した『MIU404』。果たしてどのような作品で、どのような意義を持っていたのか。

それを1人のライターの目線から紐解いて参ります。

社会問題に苦しむ"人々"を描いた作品

『MIU404』は1話ごとに昨今の社会問題をテーマに据えて、それに振り回される人たちを描くというスタイルで展開された作品でした。

取り扱われたのは同チームが製作した『アンナチュラル』放送(2017年)以降で話題となったものがほとんどだったため、既視感を覚えるエピソードがあった方も多かったのではないでしょうか。

ニュースやドキュメンタリーで取り沙汰され、SNSで話題となっている問題の数々。それをどこか他人事のように思いながら、ぼんやり眺めている。誰しもそんな時間が日常のどこかにあるでしょう。

本当ならば、我々はその社会問題の1つ1つと向き合って思考を巡らせなければなりません。皆が少しずつ関心を持つことで、その社会問題は一部の人のものから「皆で解決すべき問題」へとレベルアップします。その道筋が生まれる鍵を握っているのは、問題とは無関係な人々なのです。

しかし人間は自分と直接関係がないことには強い興味を持つことができません。そんなことをしている余裕はなく、皆が皆自分のことでいっぱいいっぱいになってしまっている現状があります。おっぱい!

『MIU404』の作中で扱われた問題のことを全く知らなかったという人もいるでしょうし、このような記事を読んで「実際に起こっていること」なんだと初めて認識できた方もいるかもしれません。

それは決しておかしなこととは言えず、今の日本を取り巻く一般的な価値観の1つだと思います。そもそも全ての社会問題がメディアで取り上げられるわけもなく、本当にネットのごく一部を騒がせているに過ぎない重大な問題も数多くあります。

その社会問題の実情を知ること自体が大変に難しい世の中で、その裏で振り回されている人の存在や生活に目を向けることなどできるはずがありません。

社会に関心を持っている人でさえ、得ているのは主に問題の情報のみのはず。実際にどんな人が苦しみどんな人が解決のために努力しているかまでは、興味だけではどうしても辿り着けないジレンマがあります。

『MIU404』はその「社会問題に苦しむ"人々"」にスポットを当てる作品として創られていたように思います。

社会問題そのものをメインに据えるのではなく、あくまでもそこに生きる"人"を扱うことで、間接的に問題を描き出す。それが徹底されているから、この作品は色々な人に受け入れられる作風となったのでしょう。

「エンタメ」と「文化」の狭間で

日本のテレビドラマ市場では、いわゆる「社会派ドラマ」と言われる問題提起を主軸に据えた作品はあまり評価されません。基本的には創られることもなく、創られたとしてもあまり受け入れられることがないのが実情です。

その理由の1つとして、エンタメとして体現され辛いということがが挙げられるでしょう。主義主張が強すぎる作品はエンターテインメントの枠組みを外れて「文化」に傾倒します。結果としてそういった作品は、ニッチな層を狙い撃った「玄人好み」「意欲作」という立ち位置に収まります。

しかし『MIU404』はそうなっていません。
小難しい社会問題を取り扱いながらも、大衆エンタメとしてしっかりと成立しています。

かと言ってエンタメに寄りすぎていることもなく、しっかりと社会問題の本質性も伝わる内容で。そこに生きる人たちの憂いや悲哀も、極めて強い現実感を伴いながら正確に伝わってくるのです。

社会問題を扱う以上は、それを茶化すようなことはあってはなりません。中途半端な問題意識を振りかざせば、実際にそれらに強い関心を持つ人々の反感を買うでしょう。

ですが問題意識を強めすぎてもエンタメとして成立せず、「評価される作品」にはなり得ません。そしてテレビで放送する以上、視聴者の数とその熱量は絶対に必要な指標となり得ます。

総じて社会問題を多くの人を納得させる形で扱いながら「面白い」と思わせるのは尋常ではないほど難しいと言え、そういったバランス感覚を持った作品が世に出てくる機会はほとんどありません。

『MIU404』はその「エンタメ」と「文化」の狭間を乗り越える作品として提示され、見事に視聴者の多くを納得させ、楽しませる作品と相成りました。

これは脚本家である野木亜紀子さんの構成力とバランス感覚はもちろんですが、製作スタッフ陣の演出力の高さや卓抜された役者の演技力など、作品に関わる全ての人が力を合わせて初めて実現したと言えるでしょう。

特定の主義主張に寄りすぎない台詞回しと展開、人間関係が用意されていることによってあらゆる人を納得させる物語に。それに現場の役者とスタッフが彼らにしかできない命を吹き込み、最後に見る人を飽きさせない画作りと演出でエンターテインメントとして盛り上げる。

全てが超ハイレベルな実力と技術力で練り込まれているからこそ、『MIU404』は絶妙なバランスで成立しているのです。

決して1人の力で生み出せるものではなく、何かが欠けていたら絶対に生まれなかったであろうきらめき。それが感じさせてくれるから、『MIU404』は視聴者の心にスッと入り込みます。

誰にでも「面白い」と感じさせる作風

ドラマを見ている人たちは、全ての人が頭を使ってみているわけではありません。目の前のものを何となく楽しんで、何となく受け止めて終わっている人もたくさんいると思います。

そういう人たちにとって「考えなければならない作品」は見ていて苦痛にさえなり得ます。そしてテレビドラマにとっては、そういった感性の人々こそがターゲット層に他なりません。

ただ見ているだけでは面白くない、裏側を考えて読み取らなければならない作品は、やはり「玄人好み」と言われてしまいます。

ですがどのような人であれ、面白さを"感じる"ことはできるのです。

感想を長文で語れるような人も、ただ何となく見て楽しんでいる人も、同じく感じることができる「面白い」があります。頭を使おうか使わまいが、本当に面白いものは「面白い」とほとんどの人が感じられます。逆に詰まらないものは、理由は言えなくとも「面白くない」と判断することが可能です。

それを体現するには万人ウケ…つまり「簡単で分かりやすいものである」ことが必須条件であるとされることが多いです。しかし実際はそうではありません。むしろ簡単で分かりやすいものほど、一定以上の人気を得られないとさえ言えるでしょう。

真摯に受け手のことを考えて創られている作品であれば、取り扱っているテーマの難しさとは関係なく心に伝わる輝きを放ちます。どんな人にも「面白い」と思わせる力を持ちます。

とは言うものの、その実現が大変に難しいことであるのもまた事実。そんな難しい選択をするなら確実に受け容れられる簡単な方を取るというのは、ビジネス的には正解であると考えられます。

その中で、それがどんなに難しいことであっても、力を持つ人たちが全力で取り組めば実現することが可能である。『MIU404』は他作品にも影響を与えるであろう、大きな希望を見せてくれました。

そうやって面白い作品を見てきた人は色々なことを"感じられる"ようになり、作品を見る目も次第に肥えて行くでしょう。

そしてその積み重ねが日常生活に影響を及ぼし、ひいては社会問題の解決に一石を投じることになるかもしれない。そんな可能性をも表現しているのです。

楽しみながら社会への興味を促す存在

前述の通り、多くの社会問題では当事者以外がその実情を知ることはありません。興味さえ持たない人が大半な中で、少しでも多くの人が関心を持つ世の中を目指さなければなりません。

興味を持たない人は、ニュースやドキュメンタリーを普段から見ること自体ないかもしれません。娯楽が氾濫する世の中では、自分が「楽しめる」と思うものさえ全てを手に取ることは難しい。その中で、人が興味がないことに興味を持てるタイミングは限られています。

だからこそ『MIU404』のような作品には意義があるのです。社会問題を扱いながらも、それに全く興味がない人たちを純粋に楽しませることができる。楽しませながらも、社会問題への興味を持たせることができる。そういう作品が世の中には必要です。

真面目なことを言えば、実際に起こっている出来事に目を向けて"学ぶ"べきでしょう。ですが多くの人は"学ぶ"ことは好きではなく、楽しいことだけしていたいと思うもの。そのような人たちは何か大きなキッカケがなければ、新しいことを考えることはありません。

難しい問題だからこそ、ライトな部分から入っていく必要があります。その社会問題に触れるための広い間口の1つとして、高度なエンタメ作品は機能します。キッカケの違いは些細なこと。興味を持ち、学べる土俵に立つ人が増えることこそが重要です。

『MIU404』を心から楽しんだ人たちにも、今まで社会問題に見向きもしなかった人はいるはずです。少なくとも取り扱われた問題全てに完璧な見識を持っている人はいないでしょう。

視聴者の一部は今後「あ、これはMIUで見たな」と思ったり「この問題の裏にはあの登場人物のような人がいるのかもしれない」と考えることができると思います。それが、新たな社会問題の解決を促す流れを生み出す可能性もあるでしょう。

前作『アンナチュラル』の第1話では、奇しくも新型ウィルスの蔓延で暴走する一般市民の姿が描かれました。あの作品を見た人は、2020年の新型コロナウィルスの蔓延と世間の揺れ動きについて、行動や考え方に変化があったかもしれません。

今作『MIU404』をはじめとするエンタメ作品には、それだけ多くの人を動かす可能性があります。全ての人にとって最悪を変えるキッカケに、「スイッチ」になり得るのです。

社会問題に興味がなかった人にとっては興味を持つキッカケとなり、元々持っていた人にはそれを深める機会となる。そしてそれを勉強ではなく、「面白い作品を楽しむ」延長線上で行うことができる。それこそが社会問題をドラマで扱う意義だと僕は思います。

現在の日本のテレビドラマはメインターゲット層を意識しすぎており、非常に不自由な環境にあるのだと思います。しかしその不自由の中で生み出される表現があるのも事実です。

『MIU404』はそんな日本のテレビドラマの大きな可能性を感じさせてくれる珠玉の作品としての姿を見せてくれました。

まだまだ日本のドラマも…いえこれから日本のドラマは面白い。そう述べる人がどんどんこれから増えて行く。そんな予感を覚えさせてくれる作品となったのではないでしょうか。

おわりに

これにて弊ブログの『MIU404』関連記事は一旦終了となります。

1話~最終話までの感想を総計9万字で書き下ろしていますので、そちらも是非ともよろしくお願い致します。

『MIU404』分析&感想 全話まとめ 総計9万字「たった一瞬のこのきらめき」を語り尽くす12記事

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良い作品を見たければ日本のテレビドラマにこだわる必要はないものの、日本のテレビドラマでしか見られない最高の作品もやはり存在しています。

『MIU404』はその中でも異彩な面白さを放つ作品であり、同チームが手掛ける『アンナチュラル』も含め、二度に渡って素晴らしい感動を届けてくれました。

コロナ禍で多くの作品が悲鳴を上げる中、『MIU404』も様々な影響を受けながらの製作になったと思います。そんな中でこのクオリティでの完結を届けてくださったこと、1人のファンとして全ての関係者の方にお礼を言いたいです。

お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
気が早い話ではありますが、次回作や既存作の続編にも今後とも期待させて頂きたく思います。また会えるその日まで、よろしくお願い致します。

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