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『MIU404』分析&感想 第7話 惑う者たち「現在地」から未来へ

投稿日:2020年8月14日 更新日:

1つの真実が明かされ、再び物語の主軸は現代へ。

より絆を深めたバディとその仲間たちが、「現在地」を明確にする第7話。

お祭り騒ぎの中に描かれた確かなメッセージ性。
そしてそれら全てが美しく絡み合って語られた、とてつもない高揚感に溢れるストーリー。

今回の物語もしっかりと読み解いて行きましょう。よろしければお付き合いくださいませ。

トランクルームに眠る弱者

この第7話は物語上に1つの明確な主題が存在しているわけではなく、「時間」や「幸せ」といった概念的な共通点を持つ者が薄っすらと繋がりを持つ一回でした。

一見するとバラバラと雑多な小話が展開されているように感じられるものの、真剣に見ていると何かと何かが繋がっている。無関係なはずだった者がその間に入る別の存在によって同じ時間軸上で結び付き合い、ここでしか見られない生きた"物語"を紡ぎ出します。

その中で舞台の1つとなったのは、トランクルームが立ち並ぶ倉庫地でした。そこに居住するホームレスの方々がフィーチャーされています。

昨今では趣味物や仕事道具を保管するための場所に大きな需要があり、トランクルームのコンテナが立ち並ぶ土地を見かけることも多くなりました。仕事場として活用する人もいて、それ用に快適な環境を演出しているスペースも広まってきています。

しかしトランクルームの扱いは基本的に「倉庫」でしかなく、そこに居住すること(寝泊りすること)が禁じられています。それでもそこそこのスペースを非常に安く借りられる魅力から、居住地としてトランクルームを違法利用する人が後を絶ちません。

コンテナの中の環境を整備して、ホームレス生活を営む人たち。その弱者の存在に、我々は普段の生活で想像を向けることはありません。そんな人がいること、そんな発想があることを初めて知った人も多いでしょう。それに気付かせてくれるのが『MIU404』という作品の大きな魅力の1つです。

生活弱者が集まるトランクルームで見つかった1つの死体。そこで生活していた"ケンさん"なる死亡者から、物語は動き出しました。

「指名手配犯」として生き延びた末路

舞台となったトランクルームは、売り払われた銀行口座とその個人情報を使って借りられた賃貸物件でした。

トランクルームに住むことは違法ですが、そもそもそのトランクルームが違法な方法によって借りられた物件だったのです。

つまり最初から違法な活用法を想定されて借りられたものであり、そこに住んでいるケンさんにはそれを借りざるを得ない理由があったということになります。

他人の個人情報で物件を借りる者=自分の個人情報を明かせない者と解釈できます。ケンさんはその立場にある人物であり、なおかつ他人の目につきにくいトランクルームを居住地と選ぶ者でもあります。

以上の条件を鑑みれば、ケンさんはほぼ犯罪者と断定してしまっても問題はありません。その情報によって、伊吹はケンさんが以前に顔写真を見た指名手配犯であることに気付きます。

彼は約10年前に強盗致傷事件を起こして逃走した2人の内の1人。本名は梨本健。そのもう1人である大熊邦彦と揃って、違法トランクルームで10年間を過ごして時効を待つ生活を送っていました。

それだけ見ればただの極悪人ですが、彼の人生にも隠された背景がありました。

強盗を犯してしまった当時、梨本と大熊はあくまで空き巣として盗みに入ったことが公的な事実となっていました。その最中に家主が帰宅してしまったことで、混乱した大熊が家主の殺害を試みてしまいます。

結果として強盗致傷事件となりましたが、元々彼らの目的は金銭のみだったのは間違いないでしょう。それが不運な巡り合わせによって、人に危害を加える展開に発展してしまったのです。

もちろんそれが何かの免罪符になるわけではありません。ただ実際に人を殴りつけた大熊と、"その部分については"無関係だった梨本の間に、事件に対するわずかな感覚差が存在したのも確かです。

そしてそれは時を経て大きな綻びとなり、彼らに決定的な価値観の差を生み出すこととなりました。

「10年」で刻まれた亀裂

強盗致傷事件は10年持ち堪えれば時効になる。
その情報を信じて、彼ら2人は人目につかない場所で10年を過ごすことに決めました。

しかし10年という月日はあまりにも長い。
その時間を大きなバックアップなしに逃げ切ることは熾烈を極めることでしょう。

現に彼らは見つからないように月日を過ごし、コンテナの中で息を潜めた生活を余儀なくされました。そして時効になったところで彼らに与えられる地位は「罪を償っていない犯罪者」です。逮捕されなくなるだけで、やれることは逃走中と大して変わらないかもしれません。

もし犯行直後に自主していれば、違った未来もあったかもしれません。強盗致傷事件の刑罰は「無期または6年以上の懲役」。事態の重さを考えれば、10年以下の判例が出る可能性も少なくなかったはずです。

結果として逃走したことで彼らが得たものは何もなく、ただ失うものばかりを積み重ねて彼らは10年間を過ごしました。

罪を償ったところで良い生活を送れたとは限りません。ただ、どうせ人に怯えて無為な時間を過ごすなら、まだ刑務所の中で罪を償っている方がマシだった。逃亡生活とは、そう思わせるほどに辛く厳しいものであることが表現されています。

特に実際に手を下していない梨本は、その辺りについて割り切れていないところがあったのでしょう。コンテナの中で猫を飼い、たまには河原に出て本を読むなど、逃亡に必要ではない(むしろすべきではない)行動を取ることもしばしばあったようです。

それこそが梨本の持つ欲望や後悔の形だったのでしょうし、どこか「捕まっても良い」と思っていると感じ取ることもできました。

ですが大熊の方は後戻りはできない状況。
生活の徹底ぶりも時効への執念も凄まじく、一切合切外への興味をシャットアウトしていました。

大熊は本当にその10年間を逃げ延びることだけを考えて生活していたようです。「時効が5年延長された」という最も大事な情報なことさえ知らない程度には、です。

元々持っていた人間性の違いもあったのでしょうが、件の事件によって彼らの間にある歪みはより決定的なものとなりました。それが更なる不幸を招くことになったのです。

報いさえ拒否した者たち

梨本は、逃亡生活を始めてしまったことを酷く後悔していたのは確実です。

時効寸前になって大熊に「自首」を提案したのは、自身が「裁かれることさえできない人間」になることを恐れたからでしょう。

その時を迎えることで、"自由"とは名ばかりの"虚無"が待ち受けているのですから。

彼はかなり早い段階からそれに気付いていたはずです。けれどそれを大熊に言い出すことはどうしてもできなかった。それがまた気がかりです。

それはそれだけ友人のことを考えていたと解釈しても良いと思います。自首も黙ってしようとはせず、最後まで大熊と共に歩むことを考えていました。そこから、元来の人の良さや友人想いな側面を垣間見ることができます。

にも関わらず彼は犯罪に手を染めました。
梨本と大熊の犯行は突発的な感情によるものではなく計画的なもので、作中に登場した犯罪者の中でも取り分け悪質です。それでも梨本には「人の心がある」ような描写がなされました。

その想いは大熊に伝わらず、むしろその想いが"裏切り"と捉えられて梨本は彼に殺害されました。梨本とは打って変わって、大熊の人間的な部分はほぼ語られることはなく、彼は純然たる悪人として描写されています。

共通しているのは、彼らが何を思って犯罪に及んだのが明確になっていないことです。今回に至っては指名手配後の内容がフィーチャーされているに過ぎず、それ以前の彼らのことは一切分かりません。

だからこそ彼らの自業自得さと、それに伴った悲哀が強調されます。

10年間の「死んでいるのと同じ」逃走生活の末に相棒に殺された犯罪者と、一時の感情に流されて相棒を失い、そのまま10年を棒に振った男。2人は何の救いも得られず本当の意味で全てを失った、作中で最も悲惨な犯罪者となりました。

人を傷つけること、殺めること、法を犯すこと、その片棒を担ぐこと。どれも許されざる罪であり、その報いを受けなくてはならない。『MIU404』には、その理念が全話に共通して存在していると思います。

けれど人が人である以上どうしようもない状況はあり、犯罪とは別にその悲劇には一定の救いが存在してもいい。どんな犯罪者であっても、蜘蛛の糸を垂らす者の存在は決して否定されません。

闇の中にある、ほんのわずかな一筋の光。
その部分をすくい上げてくれるからこそ、『MIU404』は我々の感情に強く訴えかけてくるのだと思います。

しかしその"報い"さえも拒否する人間には、より大きな罰と苦しみが待っている。一切の救いさえ与えられない大きな闇に飲み込まれ、全てを失う。

2人の指名手配犯の物語は、そんな当たり前に当たり前すぎることを改めて教えてくれたと僕は思いました。

「現在地」から動けぬ人々

2人の指名手配犯の物語の裏には、様々な物語が蠢いていました。

"ケンさん"の隣りのコンテナに住むことになった倉田靖典さんもその1人。退職金詐欺にあったことで家族と喧嘩し家にいられなくなり、トランクルーム生活を余儀なくされました。

多くは語られていませんが、詐欺に遭ったことを責められて追い出される状況。相応に信頼関係の欠如、もしくは感情的に引き下がれない要因があったのでしょう。

彼もこの事件によってケンさんのような存在、そこに隠された事情を知り、人生の新たな転機に立たされました。

彼はこの場において、梨本健の善良性のみを理解してあげられる唯一の人間でした。彼にとっての梨本は、1匹の猫を愛し今の生活を憂う哀しき中年男性に過ぎません。

家族と揉めて歩みを止めていた倉田を救ってくれたのは、間違いなく"ケンさん"だったのです。倉田にとって、ケンさんはコンテナ生活を助けてくれた100%の恩人だったはず。

その倉田だから馳せられる想いがあります。ケンさんもどこかで何かが違っていたら。後悔を行動に移すことができていたら。この結末はなかったかもしれない。だって彼は良い人だったから、と。

人間は他人事ならそう高らかに言えますが、実際に自分のこととなると簡単には行動できないものです。だからこそ、動くにはそれだけ自分の気持ちを動かす存在と出来事が必要でしょう。

そして倉田にとってのそれはこの一件に他なりませんでした。自分も彼と同じなのかもしれないという気持ちが、新しい行動を起こすキッカケとなったのだと思います。

梨本健の善良性のみを取り込んだ1匹の猫 きんぴらを抱えて、彼は自宅へと戻ります。

その猫がもたらす未来が夫婦の幸福かもしれませんし、更なる不幸かもしれません。何故なら「妻は猫が好き」という理由で、数カ月ぶりに舞い戻ってくる夫(猫付き)のことを家族がどう思うのかは、全くの未知数だからです。

常識的に考えれば、"ありえない"出戻り方な気もします。けれど人の感情と関係性は千差万別。語られていない以上、肯定的な可能性も同様に残っています。

「未来が分からない」曖昧さ――その「現在地」だけが、梨本健へ差し伸べられた"救いの手"である。

そう考えると彼らの存在にも、また大きな意味が現れます。

逃げ道を失った少女

その脇にいたのは、何か理由があって家にいられなくなった家出少女の2人。

彼女たちもまた住む場所を失って、行き先を転々とせざるを得ない闇を抱えていました。

今はSNSで呼びかければ「家出少女」を匿ってくれる人間は簡単に見つかります。今日の宿がなくお金もない。それでもすぐに次の居場所を見つけることができる、そんな彼女たちにとっては便利な世の中なのかもしれません。

けれどそれは決してノーリスクではないことです。見ず知らずの相手の家に転がり込むというのは、暴力や性被害と隣り合わせな状態。この前大丈夫だったから今回も大丈夫…などと言う簡単な話でないのです。

それを諭されても「中には親切な人も」と反論できる彼女たちは、まだ危険な目に遭ったことがないと考えても良いでしょう。それさえも受け入れている少女にしては、いささか以上に無邪気に見えたからです。

だからこそ"1回の経験"が大きく人生を捻じ曲げかねないことを、彼女たちはまだ知りません。そして知らないのなら、それを知る前に後戻りできるのが一番良いのも確かです。

「君たち、よく考えてごらん。そういう男は、若い女の子にしかメッセージを送ってこない」

家出少女を匿ってくれる人たちは、家出"少女"だからメッセージを出す。誰でも平等に声をかけてくれる100%善意の存在がこの世に存在しているのなら、倉田のような「おっさん」が路頭に迷うこともありません。

若い少女ほど自分が抱える性的な危うさ、年齢の価値に無自覚なものです。自分たちにそんなつもりがなくとも、知らず知らずのうちに性の売り買いへと身を投じてしまうことも少なくないでしょう。

それらを悪しき暗黙の了解で「合意」だと判断する輩もいて、そうやって最終的には「自分の判断」に痛めつけられてしまう。悪しき経験を積み重ねた少女たちは、誰に対しても心を閉じて行ってしまうのだと思います。

「悪い大人もいるけど、ちゃんとした大人もいる。諦めないで、まずは福祉や公共に頼る」

そうなる前に"ちゃんとした大人"に出会うことができれば、その人生は大きく変わっていく。機会は限られているけれど、それを逃さなければやり直すことは誰にだってできる。

「君たちは、独りじゃない」

実際に路頭に迷ってしまっている「おっさん」倉田を目の当たりにしたことが、彼女たちに「自分に届くメッセージが"異常"である」と理解させました。

家出少女は家に問題があるからこそ家出してしまう。その彼女たちに「親が心配しているから帰りなさい」などという綺麗事を言わず、別の逃げ道をしっかりと指示したこと。それがまた物語における大きな救いにもなったことでしょう。

自由の象徴 清瀬十三

少女たちの心を動かした存在は――弁護士の清瀬十三。コスプレを趣味とし、事件に巻き込まれなければイベントに参加する一般人でした。

演じたのは女優のりょうさんですが、キャラクター名を考えると男性という見方も捨て切れません。実際、彼女(※便宜上の三人称)の性別は明らかにされておらず、LGBT的な要素をあらゆる面から包括できる存在です。

例えば「元々女性で男性として振る舞っている(改名している)」「元々男性で性転換をしている(名前がそのまま)」「元々そういう名前の女性」「元々女性だが一度男性になり、再び女性として振る舞うようになった(※筆者が実際に出会ったことがある一例)」など、彼女の見方はどうとでも解釈できます。そのどれもが成立するキャラとして登場した可能性が高いでしょう。

またまだまだ若い人が中心だと思われがちなコスプレ趣味を、推定40代で謳歌する存在でもあります。「猫は正義」とのたまうなど、いわゆる「Twitterのオタク概念」も保有。全体的に見て持っているステータスの多さ、その濃さが際立ちます。

ですが彼女は決して特異な存在として描かれているわけではありません。「全ての人が自由に生きる権利がある」ということを、身をもって体現している存在として登場しています。

彼女の服に注目した志摩が、服装ではなく猫の毛がついていることのみに言及したシーンもありました。世間的にはまだまだ"特異"とされる点を、「おかしいことではない」と言わんばかりにスルーする。その配慮もまた小気味良い作品です。

「意味とか言い出したらさ、この世のほとんど…意味なんてないよ」

彼女の言葉は1つ1つが重く深みを持って放たれます。そしてそれを行動によって証明する彼女は、それだけでとてもカッコ良く見えるのではないでしょうか。彼女は決してストーリーを動かす役割を担っていませんが、彼女の存在が登場人物の心を動かしたのは間違いありません。

この7話には様々な生き方をする人が現れ、1人1人が自分の「現在地」に苦悩して生きています。そのどの感情もが否定されるべきではなく、そのどれもが常に悪転するリスクを平等に孕んでいるはずです。

罪を憎んで人を憎まず。悪事を犯した人にも同情の余地はあり、逆に迷える人々はいつだってその悪と隣り合わせ。全ての人が自由であるからこそ、「現在地」からどう動くかで人の生きる意味は違ってくる。

誰かのために生きることが「意味」なのか、自分のために生きることが「意味」なのか。それを求める過程で、せめて道を踏み外さない選択をすることが必要だ。

法の番人たる彼女の存在が、それを暗示してくれているかのようでした。

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