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『キンプリSSS』「四章」総括 創り手とファンが育んだ信頼関係 その先にある理想の姿

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最新作劇場版&TVアニメシリーズ
『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』公開記念!

『キンプリSSS』『スッスッス』の感想記事。
最速上映参加の勢いで1話ずつガッツリと。

…は、全話書き終わりました。ありがとうございました。

しかしまだまだ言いたいことはある。やっぱり「四章」は細かい内容ではないところで「四章」として語っておかなければなりますまい。

10話~12話の感想記事はあくまでキャラクターに沿ってストーリーを読み解くことに集中した内容となっていますが、「四章」は様々な点から見て一筋縄では行かない作品でした。ネットの感想はどちらかと言えば世界観考察で埋め尽くされていましたしね。

世界観考察などは僕よりもRL時点での知識を完璧に記憶していたり、メディアの情報をより深く把握している方の方がより真に迫った内容を提示できると思いますので、そちらの方面にはあまり手を出さない方針です。僕はまた違った角度から「四章」を語ってみようと思います。

というわけでこの記事は全12話の感想を書き終えた僕が、「四章」を観て個人的に感じたこと思ったことを書き綴って行く記事になります。内容ではなく「四章」全体から感じた空気のようなものを文章化して行こうと思っています。お楽しみ頂ければ幸いです。

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本来であれば許されない作品

冷静に考えて、あの「四章」は『KING OF PRISM』ではなかった。

あえてこの書き出しで始めて行きたいです。
「四章」スタート共に急に体現し出された世界観は完全なる未知のものであり、我々の理解の範疇を超えていたことは最早語るに及ばないでしょう。まだ封切りから2週間しか経っていないのに遠い昔のように感じられます…。

確かに前作『キンプラ』の頃からシンとルヰのファンタジーな関係性は示唆されており、そこに壮大な物語が眠っているのだろう、新作はその部分についても回収されるのだろう、までは多くのシリーズファンが予想できたことと思います。

しかしそれはやはり『プリティーリズム・レインボーライブ』で提示されたプリズムワールドの設定基準で解決される問題であり、それを大きく捻じ曲げるような話が展開されることはないという前提が我々にはあったと思います。これはワールドの設定が『プリティーシリーズ』全体に影響を与えるものとして存在していたからです。

『キンプリ』はあくまでスピンオフ作品であり、元々女児向けアニメ用に作られたあの世界観をベースにファンタジー部分も創られる。破られない不文律のようなものだという共通認識があったはず。故に「世界を亡ぼしかけた」というのもジュネのような方向性の誤りによるもので、ギスギスしていたとしてもそれ以上にはならないと思えたし、だからこそ皆のんびり構えていられた。

その心構えを逆手に取ったように繰り出された「四章」は、正に殺意と悪意(行きすぎた善意)の塊のような作品。不文律などどこ吹く風、「書いてないものはない」と言わんばかりに容易く打ち破り、プリズムワールドをあんな風にしてしまうことで硬派なファンタジー巨編に変貌しました。

期待を良い意味で裏切る、想像を超える、鑑賞者の「絶対」を崩すというのは、面白いストーリーに必ず必要な要素であると言えるし、そういう意味で決して悪い選択ではありません。ですが何でも良いというわけでもない。特にスピンオフ元の根幹を変質させるなんて、よっぽどのことがない限り侵してはならない禁忌です。

そもそも『キンプリ』の本懐はファンタジーではなく、人間ドラマ。ファンタジー部分は『RL』から世界観の色付けとして用意された要素であり、ストーリーの主軸に位置するものではなかったと言って良いでしょう。

にも関わらず、「四章」はストーリーの基本軸がファンタジーに寄ってしまっていたと考えます。それは、ネットの考察が3章までのキャラの読み解きから一変、世界観方面で大いに盛り上がったことからも明らか。考察をしているファンの性別比や種類の傾向にも変化があったように思います。

もうあの石板連中が急に出てきた時の衝撃を、俺は一生忘れない気がする。全ての「!?」を通り越した先にあるたった1つの「?」であった。

これはいわゆる「露骨な路線変更」とも言うべき流れであり、通常であればファンの大きな反感を招き、作品の評価を貶めて、創り手の独り善がりなどが取り沙汰されるようなやり口です。『キンプリ』のこれはポッと出の設定ではないにしろ、物事には限度というものがある。学園ものが気付いたらバトルものになってるどころの話ではありません。

だからこそ、この作品の変質を持って『キンプリ』は一繋がりのまとまった物語であるとするのは無理がありすぎます。「四章」は我々が見たかった『KING OF PRISM』ではなかった。12話の大団円を持ってして「何がしたかったのか分からない」と言われても仕方がない。

そのような評価をされるのが自然です。本来であれば。

そう、この作品の何が最も凄いかと言われればそうなっていないのが凄い。禁忌を破る「よっぽどのこと」があったとすれば、それは今回だったということです。

どういうわけかこの作品のファンは、僕を含めてあの「四章」を大絶賛しているという現状があり、それはTwitterなどの評判だけでなく、レビューサイトなどの評価にも数字として表れています。

それは、あのトンデモ物語を紛れもなく『KING OF PRISM』その物であると、我々が認識できているということです。

ファンの熱量が完成させた作品

この記事をここまで読んで「そんなことはない。あれはちゃんと『キンプリ』だったじゃないか」「伏線を回収したらああなるのは納得できる」などと思えている方がいるとすれば、それ自体が既に異常なのだということを、ここでまず指摘させて頂きたい所存です。

決してネガティブな意味ではなく、我々の『キンプリ』への理解はそう認識できるところまで至ってしまっているということです。

確かに『RL』から続く全てのストーリー、設定を知った上で『キンプリ』をしっかり何度も楽しんでいる方であれば、「四章」を『キンプリ』として受け入れることができるようになっていますが、実際問題そこに至るまでのハードルは高すぎると言わざるを得ません。

現に、僕と共に最速を観に行った友人(男性)の1人は『RL』から『キンプラ』までをしっかり見込んでいるにも関わらず、終わった後に誇張抜きで一言も喋れなくなっていました。彼は物語の筋と演出の強さを普通に楽しんでいるものの、キャラ考察や世界観考察の方はほとんどしないタイプの人でした。

結果、10話11話の超展開について行けず、その後の12話をその場では受け止めきれなかったようです。面白いとか面白くないとか以前に、何を言っていいか分からないといった感じでした。

ちゃんと見てきた人でもこうなる可能性はあります。
そしてこれは別におかしなことではありません。恐らく普通に楽しんでいる人が取る普通の反応ですし、同じような目に遭った人も少なくないと思います。もっと言えば「四章」は、この作品に浅くしか触れていない人には「急に意味分からなくなったな」と言われて離脱されかねない内容だと言えます。

しかし今の『キンプリ』ファンは決してそうなる人ばかりではなかった。少なくとも最速終わりの劇場にはアレを何とか理解しようとする人で溢れていたし、僕も残り2人の友人達と「あれはこうだったんじゃないか」と時間が許す限り確認してから帰りました。終わって即座にそういうことができるファンが大勢いるのです。

散々「四章はヤバい」など端的で恐ろしい感想がネットに溢れ出したものの、そうは言いながら鑑賞者の大半が取った行動は「四章を当たり前に受け容れて考察すること」でした。自分で考察するのが苦手な人も、ネットを介した集合知を使い、理解を深めることを選びました。

あの「四章」であっても何だかんだ理由をつけて作品ごと否定的に見る人は、少なくとも顕在化するほどの数はいません。ほとんどのファンがアレをしっかり『キンプリ』の一部とし、何の疑いもなく「絶対に有意味な面白いもの」と思い込み、作品を120%楽しんでいる。とんでもない状況だと思います。

そして、それができるのには様々な理由があります。

読み解けば全て理解できるように創られていること。
何だかんだ言って人間ドラマ中心なのが分かること。
12話で最高のショーを魅せてくれたこと。

などなど挙げ出せばキリがないですが、全てを包括して言えることは「ファンが作品(スタッフ)に全幅の信頼を置いている」のが確実であるということです。

『キンプリ』だから、あのスタッフさんだから、菱田監督だから…。その全ての信頼が背景となり、「この作品は絶対に面白いから」と言える自信をファンに与えている。それが路線変更を想起させるような超展開であっても『キンプリ』は「応援してくれた人を裏切るような話創りを絶対にしない」という前提だけで皆が楽しんでいる。

それができる地力と熱意を持ったファンが数多ついてきてくれているからこそ、あの「四章」は作品として成立しているのです。これは本当に物凄いことだし、そこまでのファンに強く支えられている作品の方も幸せに違いないでしょう。

ファンの大部分がアレを面白いものと直感的に判断し、その面白さを発信する努力をしたことで、初めて「四章」の面白さは表面化しました。前記した友人のような最初は面喰ってしまった人も、後から幾らでも理解し直せるチャンスがある。楽しもうと思えば、誰でもどこまでも楽しめる作品に仕上がっているのです。

『キンプリ』にはあの内容にして、ついて来られないような人をできるだけ出さない環境が整備されています。それを最終的に整えているのが作品ファンなのだと考えると、なかなかどうして恐ろしい話です。

ここだけ抜き取ると実に宗教っぽいと言うか、偏執的な執着によって作品が支えられているとも言えますが、『キンプリ』が何より素晴らしいのは、そのファンの期待に応えられるような内容が作品の細部に渡って実際に練り込まれているということです。

考えれば考えるほど、見れば見るほど新しい発見があり新しい考察が成立する。新しい知見を得られて、人間の感情の本質を知ることができる。「四章」は最初こそ翻弄されてしまうものの、しっかり向き合えば今まで以上にディープな『キンプリ』を感じられるように創られているのは確実です。

だから、冷静に考えて『KING OF PRISM』ではなかったはずの作品は、より熱意を込めて読み解けば間違いなく『KING OF PRISM』であることが分かるように創られており、ファンにはその熱量を持った人達が大勢存在している。

ここまでの事実が揃っているから「四章」は面白いし、その中身を120%楽しめる作品として我々の前に在るのです。ファンの信頼がこの「四章」を支えたのは間違いないでしょう。

キンプリはファンの総数に対する、熱量を持ったファンの割合が明らかに高いように感じます。僕のブログのような長文が一部の方々から求められたことも、個人的にはその裏付けになったと思っています。一介の無名ファンが何万字もこさえた文章が拡散されて評価されるというのは、よっぽど熱心なファンがいなければありえないことです。ありがとうございます。

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創り手がファンに寄せた信頼とそれに応えたファン達の物語

ここから更に補足を入れると「四章」が常軌を逸しているのは、このファンの反応まで全て含めた上で創られていることをヒシヒシと感じることです。菱田だけに。…あぁ!プリズムワールドがこのブログを切り捨てた!?

創り手側も同様に「この作品のファンはここまでやっても分かってくれる」と信頼して作品創りをしているし、「ファンは自分達の全力に絶対に応えてくれる」と思っているから「四章」をあの形で世に出してくれたと思います。

『キンプリ』ファンの方々は、映像作品がまともな収益を出せなかった際に起きることには様々な実感や憶測を持っていらっしゃるかと思います。様々な立場の利権や条件が絡むこともあり、全ての媒体の中で最もチャレンジングな企画を成立させにくいものの1つだと思いますし、結果に対してもひたすらにドライな文化でしょう。

そういった観点から、方向性はどうしても保守的になりがちですし「売れ筋に沿う」ことで堅実な結果を出そうとする傾向も一際強い媒体です。実際『キンプリ』も大人の女性向けアニメが盛んに創られる時代になったからこそ、その調整で成立が許された企画でもあります。

『スッスッス』は作品の初となるテレビシリーズ作品ですから、普通に考えれば最も安全な選択を取るべきですし、ブームに日和った創りにする選択肢もあったはず。僕は始まる前、自分が想像している以上に媚びた作品になってコケるんじゃないかという悪い可能性も考慮に入れており、正直内心かなり穏やかではありませんでした。

ですが、始まった作品はとにかく全力。
真っ向勝負で全キャラを掘り下げ、全話で新曲による新規プリズムショー、互換演出もゼロ(プリズム減価償却は除く)で、極め付けはEDは全話変更TRFのカバー。サービスらしいサービス演出も少なく、極めて硬派な創り。文字通り『大人のプリティーリズム』を展開し切ってくれました。

その上で出てきたのが化物の「四章」です。
今作は9話までの積み重ねをしっかり活かし、10話以降もしっかり人間ドラマだけを展開して丸く収めれば、1つの作品として手堅く終わったはずです。女性向けアイドルアニメの殻を被った質の高い人間ドラマ作品で、評価をフィックスしておける作品でした。それでさえ十分挑戦的なのですから。

なのに『スッスッス』はその選択を取らず、あえてあらゆる意味で「ヤバい方向」に舵を切ることを選びました。はっきり言います。意味不明です(褒めている)

初回は「どうしてこんなことができるんだ…」と思いながら鑑賞していました。前述した通り今作から入ったライトファンなどにどう思われるか分からないリスクは未だにあり、関係者の半数が冷静なら間口の広い方向に振っておくのがベターだと考えるでしょう。

さらに『スッスッス』は公開は前作から1年半以上の時間が経過しています。アプリやイベントなどでの断続的な展開を行っていたとは言え、既存ファンをメインコンテンツである映像部分で惹きつけておくには相当厳しい時間です。前作からさらにファンが離れていてもおかしくない状況だったはず。

もちろん三章まででそのファンの熱量が盛り返していることを見越しての「四章」だったと思いますが、製作段階で実際どうなるかまでは分かるわけがありません。「四章」をあの形にしない方が良かった理由は、挙げ出せば本当に切りがないと言わざるを得ません。

でも、そこで挑戦するのが『キンプリ』なんですよね。「四章」はそういったあらゆる面でのリスクを抱えることになっても、「ベストな作品を創ること」に全力を注いだとしか思えない作品でした。それが今いるファン達の心を掴むものであると信じて、彼らはそれを優先して行動してくれました。

『キンプリ』を盛り上げてくれたファンは、新作にもついてきてくれるし「四章」をあの形で出しても受け入れて楽しんでくれる。自分達が最高だと思えるものを創り込めば、ファンは応えてくれる。そういった信頼だけを根拠に、「四章」は今の形を取れたとしか思えません。

『キンプリ』はこんなにもファンのことを考えて作品創りをしてくれているし、どんな挑戦的なことであれ「ファンが応えてくれる」と思えるものであれば、決してそれを止めることはしない。そしてそれを受け止めるファンも、製作陣の期待通りに作品を受け容れ、楽しみ、より良いものを求めて応援を続けることを誓っている。

このクリエティブな信頼関係が成立しているからこそ、『KING OF PRISM』は他の作品には体現できない凄まじさを持つ作品としてこの時代に存在しているのだと思います。多くの作品が目指す理想の1つをこの作品は極めて高いレベルで体現していると言えるのです。

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おわりに

以上が僕が「四章」を観て感じたありのままの想いになります。

「四章」には様々な衝撃ポイントがあり、何が一番印象に残ったかは人によって違うかと思います。僕にとってはこの「作品の在り方」とも言うべき点こそが、最大の衝撃として心に刻まれた部分でした。製作スタッフはもちろんのこと、応援している他のファンの方々にも最大限の感謝と賞賛を込めて、この文をここに残させて頂きます。

僕はこの「四章」を観た時初めて、今後『キンプリ』は何があっても何かに流されてしまうような作品になって行かないと確信したし、『スッスッス』の公開前にその可能性を考えていた自分の方が愚かであったことを思い知りました。次の新作が創られたとしても、もう不安を持つことはないでしょう。

「四章」を取り巻く環境を持って改めて「物凄い作品に出会うことができた」と実感できたし、それは後から大きな感動となって自分の身に押し寄せてきました。非常に幸せな局面に立ち会えていると思います。

そして「四章」の応援上映に行くとその気持ちはさらに高まりました。これは是非、皆さんにも体験してきてほしい。そう切に思います。

「四章」の応援は何を言って良いか分からないと思いますが、多くの言葉は必要ありません。12話でキンブレを振り、拍手をして観客の空気と一体になること。これを体感することで真に「四章」は完成すると言っても過言ではありません。

『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』の真髄を体験するために、まだの方は応援上映の劇場へ足を運ぶことをオススメ致します。

TV放映はいよいよ折り返し。劇場公開期間は悲しいことに残りわずかになりました。最後までこの作品を楽しみ尽くして行きましょう!

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