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キンプリオタクの『A3!』ミリしら感想 第6話 光挿す「ロミジュリ」未来へ繋がる若き初公演

投稿日:2020年5月18日 更新日:

『A3!』も今回で第6話。
1クール目の折り返しというところでしょうか。いよいよ春組が初公演を迎えます。

MANKAIカンパニー再興の旗頭となるため、多くの人間関係トラブルを乗り越えて迎えた彼らの「ロミオとジュリアス」。素人の寄せ集めから始まった彼らは、果たしてどんな舞台を見せてくれるのでしょうか。

今回もしっかり読み取らせて頂きます。よろしければお付き合いください。

未来ある『ロミジュリ』を演じること

第6話は春組の公演の模様がフィーチャーされた一回で、過去5話分の物語の総決算的な内容。キャラクターの発展的な部分はあまり描かれず、彼らがお芝居している姿を見ることでその成長を感じる創りになっていました。

今回彼らが上演した「ロミオとジュリアス」は、かの有名なシェイクスピア作の悲恋物語『ロミオとジュリエット』を下地に執筆された、登場人物が全員男性のオリジナルストーリー。大まかなキャラクター設定や進行についてはその原作を踏襲しています。

しかしながら、原作の『ロミオとジュリエット』は徹底して悲痛な物語として描かれていて、だいたいの登場人物が死亡する上にロミオとジュリエットも報われることはありません。対して彼らの「ロミオとジュリアス」は、展開を同じくしながらも設定上は死人が出ておらず、未来へと繋がる物語に仕上がっています。

『A3!』という作品にとっても(恐らく)は初回となる舞台公演で、春組にとっても全てを背負った初回公演です。どちらにしても、作品名と何となくの印象くらいは誰でも知っているであろう『ロミジュリ』を掴みにするのはベストだと思うのですが、それにしてはあの原作は物語が陰鬱すぎる。

前途ある若者の未来が数多奪われる話を上演するのは様々な意味で不吉と言え、この初回公演を咲也たちと同じく清々しい気持ちで我々が観終えるために必要な調整が施されていると思います。

そしてこれは作者である綴の気持ちが反映された物語であるのもまた事実です。

演劇に興味を持っていながらも家族の事情を言い訳にして最初の一歩を踏み出せずにいた彼が、初めての演劇に託した"希望"。誰もが知る悲劇の結末を、自らの手で創り変えるという挑戦。それは彼個人にとって決意の表れでもあり、春組全員から受けた"光"のイメージの具現でもあったでしょう。

その演目を、最初は目も当てられないほど下手でどうしようもなかったメンバー達が堂々と演じ切る。その姿に心打たれた人も多いはずです。

「こんなところで終われない」という想いと「ここから始める」という気持ち。その両方の信念を込める題材として、未来を迎えられる『ロミジュリ』は確かにふさわしい。それだけでも伝わってくるものがあるというものです。

未熟であるが故の成功

どんなに下手な役者でも、一定期間しっかりと稽古を積めばその役者なりの"キャラクター"を演じることはできます。それは技術とは異なったところにある演技の面白いところで、その迫真感があると観ている側も意外と技術の良し悪しに気付かないものです。

これがドラマや映画などの映像に残るものだとまた勝手は違うのですが、少なくともリアルタイムで進行する演劇においては、"気迫"という観念が受け手に与える印象の度合いは大きいです。

個々人の演技力とは一朝一夕で磨かれるものではありませんが、その演目における芝居力は短期間でも十分に向上します。それが彼らの芝居に反映されていたからこそ、リピーターが通ってくれることになったのでしょう。

彼らが演じた「ロミオとジュリアス」は今の彼ら、今の気持ちだからこそ創り上げられたものですし、その成功もきっと「未熟であること」が影響した結果であると思います。

今の春組だからこそ完成させられた"希望"の物語。
その中身を、稽古の過程を見てきた1人の観覧者として、見させてもらえたように感じました。

体現される舞台の魅力

舞台とは1つの演目を1回やって終わるわけではなく、複数日に渡って何度も行うのが基本です。

同じ内容でも役者のコンディションやモチベーション、舞台の状況や観客の反応まで含めて、全く同じ芝居が行われることはありません。当然、何らかのアクシデントも付き物です。それらを全て指して「舞台は生き物」と表現されることが多くあります。

春組は集客の一環としてそもそも日替わり要素を導入していたようですが、そんなことをせずとも何かは絶対に変わります(もちろん、商売的には最初から設定されていた方が良い)

今回はその一環として、至が足を傷める描写が盛り込まれました。

最もやる気がなかった至が怪我の具合を隠して舞台に上がり続ける様は、それだけで彼の精神的な成長を感じさせてくれます。それに気付いていながら、至の気持ちを尊重してあえて1人の時に意志を確認するシトロン。この振る舞い含めて役者の交流です。5話からの彼らは良いコンビですね。

きっと至は皆の為を思って「心配かけまい」と考えたのでしょうが、今回の彼からは何より、自分自身が最後まで舞台に上がり続けたいという想いが伝わってくるようでした。ここまで一生懸命やってきたのだから、皆と対等な関係のまま最後までステージに上がっていたい。その気持ちが彼を動かしたはずです。

ですがその足が最後まで持つことはなく、千秋楽のラストで限界を迎えてしまいます。結果として彼の熱意が、この舞台で最大のアクシデントとして舞台上で彼らを襲ってしまったのです。

最後まで役者として在ること

しかし咲也は舞台を止めることを選びません。
アドリブによって演目を続行し、至のピンチを役者として救おうと動きます。

口で言うのは簡単ですが、演者が舞台上でアドリブを行うハードルは非常に高いです。しかもそれが自分とは無関係のトラブルによるものであれば尚更のこと。

脚本を完全に頭に入れるのはもちろんのこと、自分の役柄のことを理解し、キャラとしてどう振る舞うかが完全に練り込まれている役者のみが舞台上で機転を利かせることができます。

さらに周りを巻き込むアドリブは、自分の役が相手の役に対してどのように発言するのかまで完璧に考えられており、なおかつ相手の役者が自分と同レベルのものを返してくれるという信頼がなければ成立しません。

これは佐久間咲也が「ロミジュリ」において、そのレベルまで達した役者として舞台上に立っていたということ。そして茅ヶ崎至もまた、それに応えられる役者として演じ切ることができていたということです。

いづみはこの時、至の異変を察知して芝居を中断しようとしました。これは舞台を指揮する監督としては当然の判断で、彼女が舞台上の彼らを信用していなかったわけではありません。まだまだ即席と言わざるを得ない彼らをして、あの場を「アドリブで乗り越えられる」方に賭ける方がどうかしています。

だからあの場で咲也と至が彼女の判断を超え、アドリブで芝居を演じ切るところまで役柄を熱演したことこそ手放しに褒められるべきで。それを持って彼ら春組の「ロミオとジュリアス」が完璧な演目であったことが示されたのだと思います。

予期せぬトラブルによる芝居の中断。その空気は観ているお客さんにも伝わります。リピーターが多い舞台ならば、どうしても気付かれてしまいます。

だからこそ、そのトラブルを芝居によって乗り越える、決意と熱意もまたお客さんに直に伝わるものです。仮に途中中断だったとしても文句を言う観客はほぼいないでしょうが、そうであっても演技を決してやめない役者の姿はより鮮烈な記憶となって、観客のボルテージを引き上げます。

奇しくもそれは幼少期に咲也を演劇に目覚めさせた、あの公演の状況と被ります。彼はトラブルを芝居で乗り越えられる舞台上の役者を見て、自分も同じようになりたいと思って役者を志しました。その自身が憧れた存在と同レベルの輝きを、彼はあの場で放っていたのです。

それを成し遂げたという自覚が今の彼にあるのかは分かりません。けれど全てを終えた充実感の中にはきっと、「最後まで役者として在れたこと」が多分に含まれていることでしょう。

できなければすごく苦い思い出で終わってしまったところを、咲也は自身の機転で最高の成功体験に塗り替えてみせました。そのことを誰かが目いっぱいに褒めてくれることを、願って止みません。

演劇でしか味わえない興奮

その舞台を終えた至にも大きな変化は訪れます。
大好きなゲームとは全く違った感覚が、彼の心を大きく燃え上がらせていたのです。

個人的な話をすると、僕は正直、許されるのなら毎日朝から晩までゲームをして一生を終えても良いと思うくらいゲームが大好きな人間です。だから至が様々なゲームに没頭する姿にも親近感が湧いています。

今やゲームも一大娯楽。真剣に熱中してプレイすれば、最高の興奮体験と達成感を味わうことができるeスポーツとしての側面も強くなっています。だから、ゲームで圧倒的な興奮や感動を味わえないとは思いません。

でもやっぱり違うんですよね。
舞台で味わえるあの感覚は、ゲームで得られるものとは根本的に違うんです。

人前に立って何かをやり遂げること。それに対する最大の拍手を受け取ること。皆で1つのものを創り上げること。明確な答えや勝利がない中で、迫真の自分を突き詰めること。普通なら絶対に許されないトラブルを皆で乗り越えて、"より良い結果"を導くこと。

それら全ての経験は人前で演じることでしか、同じ舞台を創り上げることでしか得ることのできない、唯一無二の体験です。それはゲームよりも熱いのではなく、演劇でしか味わえない別種の感動と興奮です。

一度味わったらまた味わいたくなる、そんな麻薬のような幸福感と達成感。それが演劇にはあって、舞台はやればやるほどその文化のことが好きになる。

僕も演劇から離れて大分経ちますが、今でも人前に立つことはやめられません。歌を歌ったり別の形で演技をしたり色々したりして、何とか人前に立つ機会を持っている趣味人です。根はインドアなのに、それだけはやっぱり自分の中に1つ大きな形として残っています。

至もあの初舞台を経て、きっとその舞台の魅力に気付いてしまったのでしょう。

分かる、分かるぞう。今後、大人としての彼とゲーム脳な彼に、役者としての彼が加わって。きっと面白い舞台人へと成長して行くはずです。1つの舞台の幕引きは、往々にして誰かの新しい人生の幕開けだったりします。至にとって今回はそのような舞台になったのではないでしょうか。

もちろん、他のメンバーも同様に新しく感じ取ったものがある。それがまた次回以降の公演で花を開いて行くのだと思います。その1つの目の到達点として、良いものを見せて頂きました。彼らの活躍に幸あれ。

おわりに

第6話で春組の物語は一区切り。
このアニメは「SEASON SPRING & SUMMER」なので、次週からは夏組の物語にシフトして行く感じでしょうか。となると、彼らの活躍はここまでになりますね。

夏組は春組の初公演の成功を原点として結成される座組の様子。それを踏まえた物語が7話以降で展開されることと思います。春組の初公演は6話にしっかりと凝縮されていて、演劇の光を感じられる清々しい物語でした。

ぶっちゃけた話、演劇ってやってて良いことばかりではないですし、むしろ大変なことの方が多いです。どこかでその"大変さ"に他の大事なものが食われそうになってしまって、頃合いで多くの人が舞台から離れます。ずっと続けられる人の方が圧倒的な少数派です。

演劇をモチーフにした作品はそういった"闇"の部分もフィーチャーされがちですが、『A3!』のここまでの物語は「そう、これだから演劇は面白い」と思えるところがもの凄くポジティブに描かれていて、見ていて元気を貰うことができるなぁと感じています。

今後もそういった物語が展開されると思っているので楽しみです(別に闇に舵を切ってもそれはそれでアリ)どうかこの記事群にもお付き合い頂けると幸いです。

今回もありがとうございました。それではまた次回の記事で。

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